1975年9月、講談社から刊行された近藤富枝による文壇史。装幀は森下年昭。
東京府下豊島郡滝野川町字田端は、明治の末には一面の畑であり、何の変哲もない田舎町にすぎなかった。
しかし上野美術学校と台地続きであったため、美術人の住まう人が相つぎ、大正のはじめにかけては、美術村の観があった。
さらに大正三年、東台通りに芥川龍之介一家が移ってくるに及んで、田端は俄かに文士村と化し、作家の往来が目立った。ことに芥川の書斎澄江堂は、彼を慕う新進たちで賑わった。そして龍之介を囲繞する文士文人群と美術家群との間に、大正期特有の人情豊かな濃密な交流がはじまった。
また犀星、朔太郎の「感情」、中野重治、堀辰雄らの「驢馬」創刊なども、この地で行なわれている。”詩のみやこ”、とさえ犀星は誇った。
田端在住の人物には、まず作家、詩人に、芥川龍之介、室生犀星、萩原朔太郎、瀧井孝作、福士幸次郎、久保田万太郎、中野重治、窪川鶴次郎、堀辰雄、平木二六、西沢隆二、宮木喜久雄、佐多稲子、押川春浪、小林秀雄、菊池寛、片山潜、平塚らいてう、土屋文明、太田水穂、四賀光子、山田順子等がある。
また画家、彫刻家、工芸家などには、板谷波山、香取秀真、小杉未醒、堆朱楊成、山本鼎、倉田白羊、森田恒友、村山槐多、小穴隆一、吉田三郎、満谷国四郎、山田敬中、北村四海、岩田専太郎、田辺至、吉田白嶺、木村武山、北原大輔、小山栄造、国方林三、柚木久太、池田勇八、池田輝方、蕉園夫妻、建畠大夢、高見沢路直(田河水泡)達などがある。これらの芸術人の所属は官展系、二科系、春陽会系と三ッ巴であったが仲良く住まっていた。またこのなかには秀真、未醒、槐多のごとき、プロ級の歌人、詩人がいるのが特色である。
その他田端芸術家のパトロンであった鹿島組の鹿島龍蔵、テニスの針重敬喜、芥川の主治医であり文人であった下島勲、やはり芥川の恩師であった府立三中校長、広瀬雄なども住み、この狭い台彩な人材があふれていたことに驚くのである。
大正時代の田端は東京の郊外で、坂の多い地形はおのずから雅致ある風景を随所に展開した。台地の裾を流れる藍染川には、螢がとび交い、梅屋敷の森には、雉も棲んでいた。アトリエ付の家がところどころにあり、白いエプロンをかけた女給のいるカフェーや、モダンなパン屋もあって若々しかった。
この田端の風土と人脈は、近代文学史に一線を画す芥川文学の背景であり、かつ大正から昭和ヘの文学胎動も、この地に一典型を認められることにきづくのである。
(「はじめに」より)
目次
はじめに
- 第一章 夫婦窯
- 飛鳥山焼
- 吉田三郎
- 老いらくの恋
- 第二章 未醒蛮民
- ポプラ倶楽部
- 反戦画家
- 老荘会
- 異形の天才
- 第三章 「羅生門」の作者
- 天然自笑軒
- 一枚の絵
- 文壇登場
- 第四章 詩のみやこ
- 感情詩社
- 詩から小説へ
- 山羊少年
- 第五章 作家たち
- 「無限抱擁」
- 芥川と室生
- 暮鳥忌
- 第六章 隣の先生
- しこの鬼妻
- 籐のステッキ
- 東台クラブ
- 第七章 道閑会
- 鹿島龍蔵
- 会員たち
- 北原大輔
- 第八章 王さまの憂鬱
- 空谷山人
- 『井月句集』
- 縞絽の羽織
- 行燈の会
- 白衣
- 第九章 関東大震災
- 午前十一時五十八分
- 自警団
- しの竹の家
- 辰っちゃんこ
- 第十章 藍染川畔
- 大正十四年
- メルヘン
- 第十一章 「驢馬」の人たち
- 犀星をとりく美青年群
- パイプの会
- カフェー紅緑
- 第十二章 巨星墜つ
- 暑い日
- 餓鬼
- 蝉の声
付・田端の女性たち
おわりに
年表
主要参考資料
<折込付図>田端付近略図