1936年6月、白水社から刊行された照井瓔三による詩朗読の解説書。
詩の言葉には冪がある。それ故わたしの持論としては詩の最善の鑑賞法は默讀にある。或は一行を讀みかへし、或は數行を一度に讀む、 冪根がその間に展開する。書かれた言葉の並列だけしか讀み得ない讀者は最も浅い鑑賞者といはねばならない。
しかし詩が言葉である以上、朗讀によつて言葉の持つ威力が言葉自體の中から自律的に迸出して來て、發聲による生きたニュウアンスが生れ、此處に又別の面が、朗讀によるより外、味ふ事の出來ない面があらはれるといふ事も事實である。元來、詩は人體と同じく多數の面を持つてゐる。そのいろいろの面は人が之を發見しなければそのまま氣づかれずに言葉の下にかくれてゐるものであつて、がさつな讀者は、うかうかと、てにをは一つの深さ、言葉の推移の奥にかくれた詩そのものをさへ見のがして平然としてある。朗讀による詩の一面は、それ故、何よりも生きたニュウアンスの微妙な表出にある。
ところが言葉の生きたニュウアンスの表出といふ事は訓練無しには出來ない。訓練無き者の朗讀は結局自己陶酔に終る。その詩篇の作者といへども、訓練無き場合には滿足にゆかないのが朗讀の持つ特質である。詩篇とは既に作者を離れて呼吸する一個の獨立體であるからだ。詩の朗讀に特に技術の必要な事は恐らく人の想像する以上であらう。
照井瓔三氏はもともと聲樂家である。聲の訓練に於いては既に申分無いわけで、その照井氏が朗讀に關する技法の書を書かれた事は一般を益する事多いに違ひない。發聲、發音の根本技法の練磨をわたしは殊に強調したい。詩の解釋其他は、丁度音樂の演奏に於けると同じく、人さまざまであらうが、詩の言葉を適確に微妙に空中に現前させるには、まづ此のいろはの體得が肝要である。照井氏の此の時機に適つた著書の出版をわたしは心から喜ぶ。
(高村光太郎)
目次
- 詩の朗讀
- その由來「詩朗讀放送」一覽表
- マチネ・ポエチックなど
- 朗讀技術一般
- 發聲法
- 發音に就て
- アクセント
- 朗讀表出法
- 引用詩目次
- 羊 シェーマス・オサリヴァン/山宮允譯
- 北風頌 大木停夫
- 縣技師の雲に對するステェトメント 宮澤賢治
- 古なじみの顔 チャールズ・ラム/山宮允譯
- 凧 深尾須磨子
- 暗をして來らしめよ ル・コント・ド・リル/内藤濯譯
- 椰子の實 島崎藤村
- 葦間の女人 堀口大學
- 軍隊 萩原朔太郎
- 伊太利を想ふ 西條八十
- 釣する男 フランソワ・コツペ/内藤濯譯
- 犬吠の太郎 高村光太郎
- 虎 萩原朔太郎
- やいたをたてる母子 坂本遼
- 落葉樹 北原白秋
- 薔薇の木 北原白秋
- 牛 高村光太郎
- 春から夏に感じること 室生犀星
- 笛吹女 深尾須磨子
- サーカス 中原中也
- 愛慾(曲譜) 長田恒雄
- 戰線(曲譜) 本田信
- 日曜 ジュール・ラフォルグ/上田敏譯
- 朗讀例題詩目次
- (一)秋刀魚の歌 佐藤春夫
- (二)有樂部川畔にて 富田碎花
- (三)歩み 生田春月
- (四)少年の嘘 丸山薰
- (五)皮膚をきたへよ 永瀬清子
- (六)野茨に鳩 北原白秋
- (七)アントニオとクレオパトラ ホゼ・マリア/内藤濯譯
- (八)船乘りの母 佐藤惣之助
- (九)蛇 千家元麿
- (十)詩の道 河井醉茗
- (十一)ドン・キホーテ 佐伯都郎
- (十二)盧馬上れ立つて天國へ行く為の祈り フランシス・ジャム/堀口大學譯
- (十三)最後の箱 中野重治
- (十四)存在 高村光太郎
- (十五)山茶花 竹內てるよ
- (十六)日本刀 高橋元吉
- (十七)雨の歌へる 中野秀人
- (十八)旅のいざなひ シャルル・ボードレエル/鈴木信太郎譯
- (十九)雨蛙 野口米次郎
- (二十)青面美童 日夏耿之介
- (廿一)衛 吉田一穂
- (廿二)童話 西條八十
- (廿三)掌 川路柳虹
- (廿四)一錢銅貨一つ 福田正夫
- (廿五)町の鐘 白鳥省吾
- (廿六)笠驚と旗と 神保光太郎
- (廿七)心 柳澤健
- (廿八)水のゆふべ アロイズィウス・ベルトラン/山內義雄譯
- (廿九)下女 田中令三
- (三十)たしかにその日の午后までは彼等は下界に生きてゐた 草野心平
- (卅一)愛する愛するもの 萩原恭次郎
- (卅二)無題 高橋新吉
- (卅三)訪問 尾崎喜八
- (卅四)構成 喜志邦三
- (卅五)小さな青空 菱山修三
- (卅六)歩く人 北川冬彦
- (卅七)永訣の朝 宮澤賢治
- (卅八)鯛を買ふ 林芙美子
- (卅九)雪婆 菊岡久利