1983年7月、俳句研究新社から刊行された福田葉子(1928~)の第2句集。
何となく天折を憧れるような感じの日々を過ごしながら、もう半世紀を生きてしまいました。他愛のない願望にすぎないと言えば、そのとおりに違いありませんが、しかし、いつも死について考えながら生きてきたことだけは確かです。もちろん、その死についての思いは、それほど切実に差し迫ったというものではなく、たぶんに観念的な死の世界からの連続的な刺激のようなものでした。
ごく普通の日常の時間の中でも、しばしば私の肉体から抜け出してゆくものがあって、その昔、母の胎内に覚束なく浮游していたときのように、あるいは母の両腕に抱かれて空間を移動していたときのように、すぐに飛行を始めるのでした。それは、私の出生前後の頃に回帰したいという願望のようなものかもしれませんが、いずれも両足が地上から少し離れて、いかにも頼りなげな存在となっているわけで、肉体を持ちながら、その肉体の棚からは解放された状態にあることが、私の心を惹きつけてやまなかったと思われます。
それは、夢といえば夢、幻想といえば幻想のようなものですが、私の内部に潜在する意識の断片が、いわば未生の我・死後の我を思って飛行を続けるかたちになり、そして、ときには私の俳句になっていったとも考えることが出来ます。
なお、第一句集『今は鷗』と同様、この『複葉機』も、師と頼む高柳重信氏のお世話になりました。記して御礼を申しあげます。
(「あとがき」より)
目次
- 囁く睡魔 三一句
- 真昼の夢魔 二七句
- 夢の愛 三五句
- 昔の木 三五句
- 夢の野 二三句
あとがき