1988年11月、月草舎から刊行された紫野京子(1947~)の作品集。第2詩集『虹と轍』と句集『陽と滴のかけら』で構成される。
私の手許に『薫泉』という一冊の句集があります。
「いつか娘に讀ません日記秋燈下」隆子(昭和三十三年)
という句を最後に、昭和三十四年は空白のままです。そのあとがきに、
「亡き妻の文庫の底の秋扇」故園
と記した父も、今はもう亡く、歳月の流れゆくままに、私自身も母の亡くなった時の年令をはるかに超えました。
母の句集の序に、阿波野青畝先生が書いて下さった、私の幼い頃の句があります。思えば幼ない頃から、家中で句会のまねごとなどをして、いつのまにか俳句を作りはじめ、それほどの意識も決意もないまま、日々の暮らしや思いを書き連ねて参りました。自分の意志ではじめた詩や絵とちがって、それだけに俳句は私にとって一番身近な、一番自然な表現方法だったのかもしれません。
父母亡きあと、なぜかだんだん俳句を作ることから遠ざかって、今では時たま思い出したように浮かぶ位になってしまい、それゆえに、これまでに生まれた句が、一層愛おしい気が致します。
今回、第二詩集を上梓する機会に、十三才位から現在に至るまでの句のうち、いくつかを選んで句集にまとめてみました。多分、これが最初で最後の句集になるのではないかと思います。今後、もし作り続けるとしても、私のなかでは、俳句とか詩とかの区別などなく、ただ表現の一形式として、多くの表現方法に垣根を作ることなく、書き続けることでしょう。私が私であるために。
(「句集『陽と滴のかけら』あとがき」より
初めての詩集を出した一九八一年から、いつのまにか七年の月日がたちました。最初の詩集で置き去りにしてしまった詩篇たち、及びその後から一九八七年までの詩篇を集めたものがこの詩集です。
この七年のうちに、私のなかで何が失われ、何が生まれたのか、又、何が変わり、変わらぬものとして残されたものは何か、そんなことを思いながら、この後記を書いています。私自身ですら、それは茫洋として、明確にはわかり得ません。ただひとつ、この歳月を通じて、幾度も自らの卑少さを思い知らされながらも、私にとって書くことは、生きることと切り離せないものになっていることを感じています。
そして又、前詩集の後記に書いたように、私の手紙(詩)に応え、励まして下さった多くの方々のおかげで、私は今もこうして詩を書き続けていられるのだとつくゞ思います。
今私は、再びこの手紙(詩集)を投函します。
(「詩集『虹と轍』おわりに」より
虹と轍目次
序にかえて
Ⅰ
- 桜月
- ささやかな喪失
- 林檎樹
- 相聞
- 炎
- しゃぼん玉
- あじさい
- 蜻蛉
- 小さな狩人
- 初秋
- 黄昏
- 蔓薔薇の家
- 七月十四日の踏切
- ペルシアの壺に
- 出会い
- 海辺
- 磨丸太
- 小さな白い花のある石に
- アネモネ
- 雨
- 海の上の公園
- 消えた虹
- 私の大事なもの
- 見えないものを
Ⅱ
- 明視
- 歯車のなかで
- 命題
- こもれびのように
- 現実
- 外人墓地にて
- 魔法
- 視線
- 小さな花
- 風のなかで
- 輪廻
- 海底にて
- 曇った星祭の夜に
- 落日
- 彼岸花
- クロスワード
- 貝殻
- 閉ざされた扉
- 精錬
- 失くした翼
- 冬の海
- 光る道
- 見えない湖
- ロザリオ
- 祈り
- ねがい
- のぞみ
- 私に出来ることは
- 階
- 灯
- 十字架の聖ヨハネの日に
- 臆病な木
- 月光
- ある愛
- 光のなかで
- 映像
おわりに