水を聴く 高浦銘子句集

f:id:bookface:20200811215045j:plain

 1990年10月、牧羊社から刊行された高浦銘子(1960~)の第1句集。

 桃咲いていちばんやさしい人でゐる
 人声はとほく落花は激しかり
 逢ひにゆく道カンナの緋途切れざる
 茶の花はほのかなるほのかなる花
 臘梅の花のひとりが瞬きぬ

 高浦銘子さんの第一句集『水を聴く』の中から、私の好きな作品をぬき出していくと、きりがなくなってしまう。
 山上の湖水のような静けさを湛えた作品には、ゆたかな感性と知性がすみずみまで過不足なくしみとおっていて、読む者のこころを満たし、素直にさせてくれる。
 ここに挙げた五句は<花は>の章に収められたもの。桃の花、桜花、カンナ、茶の花、そして臘梅。どの花も高浦銘子という人の目と心を通して、その独自の存在があざやかに讃えられている。
 銘子さんが俳句に出合ったのは一九八三年、いまから七年余り前のことである。山口青邨先生の指導される「白塔句会」が東京女子大のキャンパスで開催されるようになって、すでに二十年余りの歳月が重ねられてきたその頃のことである。同じ頃、同じような出合いをした仲間に、名取里美、藺草慶子さんの二人がいる。私はこの二人に銘子さんを加え、ひそかに白塔の三新鋭と呼んで、その精進と前進を見守ってきた。
 武蔵野の面影を宿す深い木立につつまれたキャンパスの一角で、卒寿に向かわれる矍鑠たる俳人に銘子さんは天の恵みを得て、ゆくりなくもめぐり合うことが出来た。
 この人の父上もその若き日現代詩を書いておられたという。その影響を受けて、銘子さんも幼い頃から文学、とくに詩歌に対する関心が高かった。「白塔句会」で俳句とたしかな出合いを果たした銘子さんは、一方で柏葉会に属し、合唱に打ちこみつつ卒業、会社勤めも体験している。
 私は「白塔句会」はもとより、「木の椅子会」という若い俳句作者たちが集まって自在に俳句を学び合う会で銘子さんと句作を共にしてきたので、卒業、就職、退職、結婚、出産というこの人の二十代の人生のドラマを彼女の俳句作品を通してずっと眺めてきたという親近感がある。さらに、そのような日々の中で、この人の俳句に対する謙虚で純真きわまりない態度に深い共感と敬意を抱いてきた。
 銘子さんは俳句を勉強しはじめて以来、どんなときでも俳句から遠ざかったりすることはなかった。二十代の作者にとって、このことは現実には容易なことではなかった筈である。しかし、俳句との一期一会の出合いを恵まれたと信じる彼女の俳句に賭ける熱意、俳句に対する献身は連衆の誰にもおとるものではなかった。しかし、その情熱も行動も彼女独自のもの静かな、つつしみ深い態度に貫かれていたことは特記しなければならない。
 この人が句作をはじめてまもなく、私はその作品を系統的に読む機会を得た。高浦銘子という若い俳句作者の作品世界を貫くひとつの要素に、私は「祈り」を発見した。

 濃紅梅浸して深き水のある
 流星の尾のみじかさよ君眠れ
 かなしみて目にいっぱいのすすきかな
 秋の日がちひさきひとのくちびるに
 風鈴の絵付の部屋の四畳半
 星祭る色紙の青しづまりて
 こほろぎの胴のっめたさ放しけり

「祈り」は以来彼女の作品を貫くひとつの特徴とも魅力ともなって、近年のこのような作品に結晶している。
 学生時代、柏葉会で出合った最愛の人と結婚され、しばらく経った頃、銘子さんから一通の手紙を受けとった。
「近ごろ、ようやく自然をよくみつめることの深さ、うれしさが分りかけてきました。そういう瞬間を重ねる中で俳句を得られるありがたさを知りました。これからは、たとえ、夫の転勤で東京を離れ、遠い土地でたったひとりになっても、俳句を作りつづけることが出来そうな気がして参りました。俳句と向かい合うことで、本当の勇気が与えられることがあるということを知りました」
 この頃から銘子さんの俳句が変わってくる。「俳句とエッセイ」に投句を開始したのと前後して、季刊詩誌「ラ・メール」の俳壇欄にも毎号意欲作を投句してこられた。たまたま私はこの二つの雑誌の選句を担当していたので、銘子さんが自己革新を遂げてぐんぐん伸びてゆく過程を目のあたりにしてよろこびもし、また励まされた。
 さらに、銘子さんは市川の「あんず句会」にも参加、ヴェテランの主婦俳人に伍して、みずみずしい詩情をもちつつ、しかもしみじみとゆたかな日常吟を詠むことにも熟達してこられた。不言実行。実に努力の人でもあった。
 昨年の秋、長女日奈子さん誕生、ますます美しくかがやいてきた彼女に、第二回の「ラ・メール」俳句賞が授与された。
 さらに、この秋には通産省から米国の大学に留学されている夫君のもとにおもむき、二年間の海外生活に入られる。

 朝ざくらみどり児に言ふさようなら 中村草田男
 ゆりかもめこひびとにいふさやうなら 高浦銘子

 このたび、二十代のまとめともいうべき句集を自ら選句、構成された銘子さんの自選力に私は信頼を深めた。草田男の句もいいが、銘子さんのゆりかもめも私は好きである。
 ともあれ、銘子さんの俳句も人生もまさにこれからである。急がず、焦らず、自己に人一倍厳しいこの佳人がどこまで自分を伸ばしていくか、高浦銘子という新人に私は大きな期待を寄せている。
(「『水を聴く』に寄せて」黒田杏子より)

 

 女子大の同窓会館の一室で俳句に出会った。一九八三年のこと、山口青邨先生のご指導くださる白塔会という句会である。句座の雰囲気が新鮮だった。何か月か後、やはりこの会の大先輩である黒田杏子先生にお目にかかり、ご指導を受ける機会に恵まれた。振り返ってみると、勿体ないような幸運な出会いだったと思う。お二人の先生、先輩方に導かれ、句作を続けて七年が過ぎた。

 俳句は祈りだと思う。観察すること、表現することの大切さは勿論だけれど、その底ひには祈りがなくてはならないと思う。それは、また、自然への畏れともいうべきものだ。人間を含めた自然というものに謙虚な心で向かい、句を作りつづけてゆけたら…と思う。
(「あとがき」より) 

 

目次

序 黒田杏子

  • 花は
  • 水を聴く
  • 父の机
  • 雪の窓

あとがき


NDLで検索
Amazonで検索
日本の古本屋で検索
ヤフオクで検索