歳月 結城昌治句集

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 1979年9月、未来工房から刊行された結城昌治(1927~1996)の句集。

 

 私が肺結核のため清瀬村の国立東京療養所に入つたのは昭和二十四年二月七日、二十二歳の誕生日を迎へた翌々日だつた。まだ敗戦後の食糧難時代で、医学もこんにちのやうに進歩してゐなかつた。結核といへば生死を計りがたく、私は入所する一年ほど前から気胸療法をうけてゐたが、精神的にも荒廃してカストリ焼酎などを飲んでゐた。
 だから療養所に入るときも、生命への執着より心配してくれる母から離れたいといふ気持のはうが強かつた。死を恐れなかつたわけではないが、若さ故の無分別と虚勢で人生を軽んじてゐたのである。
 しかし、療養所で死と隣合はせのやうな毎日をおくるうちに、私はあらためて生きたいと願ふやうになつていつた。

  七夕竹惜命(しゃくみやう)の文字隠れなし

 これは石田波郷氏の句だが、私のとなりの病室に波郷氏がかなり重症の病に臥してをられた。私は波郷氏の影響でたちまち句作に熱中した。いかに拙くとも、句を作ることは生きることへつながつてゐた。ここに収めた当時の句はわづか四年間の所産にすぎない。その後私は十七文字の世界が息苦しくなつて詩作へ転じ、いまは小説を書いて生きながらへてゐる。
 ところが、俳句と縁を切つて二十数年も経つてから作意がよみがへつてきて、昨年の一月から仲間をつのつて句会を催すやうになつた。「くちなし句会」といふもつともらしい名までつけて、いつたいどういふ風向きか自分でも分らないありさまである。かつてのやうにひたむきではないが結構熱心で、毎月一回の句会もすでに一年以上つづいてゐる。若い頃の句に昨年一年間の句を加へて「歳月」と題したが、感無量の思ひである。
(「序」より) 

 

目次

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