EVE・イヴ 鳴戸奈菜句集

 1985年12月、琴座俳句会から刊行された鳴戸奈菜(1943~)の第1句集。

 

 昭和五十一年暮れ、吉岡実編『「耕衣百句』を読み、深く感銘、すぐさま「琴座」に入会、今日に至っている。
 祖父、父ともに無名ながら俳句を作り、一昨年秋、父の三回忌にあたり、「鳴戸馨舟・四風句集』を編纂し出版したが、私自身は、耕衣俳句の存在を知るまでは句作とは無縁であった。
 以来九年が経つ。その間、苦しんだり迷ったりしながらも、大体においては楽しく句作してきた。このたび、思い切って一本にまとめてみたが、動機を強いていうなら、ただもう自己啓発のために過ぎない。
 私はジャンルを問わず、およそ文学芸術の根幹をなす「言葉」そのものが面白く好きでならない。意味、色、音、匂いごめ言葉を相手にする一刻を至福の時と思う。その思いは、文学の最小形式である俳句と遊ぶとき最も満たされるようだ。
 
 句集を上梓するに際して、敬愛する永田耕衣先生より序文を賜わった。ありがたいことである。拝誦して驚いたことには、「叡知」(身に過ぎたお褒めの言葉で恐縮している)と「茶目っ気」が拙句の特質として述べられていることである。
 英文学を専攻した学生時代の恩師、故福原麟太郎先生は、常常、英文学は叡智の文学であり、ヒウマーを重んずると説かれた。両先生のお使いになった言葉の意味は、それぞれ多少、肌合いを異にすると思うけれども、私はこの偶然の一致に、少なからず驚き、且つ喜んだ。
 ただ今も英文学を修める途上の者であるが、句作の際、それを意識したことはない。むしろ、気がつかぬまでも押さえ込んでいるかもしれない。しかし、俳句に向かう私の本質的な姿勢の中に、もし、そういった形で英文学の影響が認められるならば、願ってもないことである。そして今後、本物の「叡知」と「茶目っ気」を身に付けられるよう切磋してゆきたいと考える。
 ここ九年間近くの、主に「琴座」、及び「俳句研究」に発表した拙句から二八七句を自選し納めた。「EVE・イヴ」と命名した理由は、むろん、旧約聖書のアダムとイヴが念頭にあってのことである。「広辞苑」にはイヴは「蛇に誘惑されて禁断の木の実を食い、夫にも食わせたので、ともにエデンの園を放逐された」と説明されてある。謹厳をもって鳴る「広辞苑」が「食わせた」と記述するのも愉快だが、西洋と東洋、或いは宗教の相違といったものを超えて、イヴは人類の女の本性を具現し、生命的神秘的エロティックな存在であるように思われる。わが国でいえば、天の岩屋に閉じ籠もった天照大神も、また愛すべき女性であるが、この際、少し気取って前者のイメージを句集にとりこむことを願った。英語のEVEには、その他、「(祭の)前夜」とか「夕べ」という意味もあって、それも名付親としては嬉しい。
 句を収録するにあたっては、ほぼ創作年代順に並べ、仮名遣いは、原則として現代仮名遣いを用いたが、ときに口吻の妙、姿のよさ等を優先させて、歴史的仮名遣いを用いた場合もある。
(「あとがき」より)

 

目次

序 永田耕衣

  • 昭和五十二年
  • 昭和五十三年
  • 昭和五十四年
  • 昭和五十五年
  • 昭和五十六年
  • 昭和五十七年
  • 昭和五十八年
  • 昭和六十年

あとがき


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