1972年5月、あすなろ社から復刊された辻亮一(1914~2013)の短編小説集。装幀は黒沢梧郎。表題作は第23回芥川賞受賞作品。元版は1950年文藝春秋新社版。著者は滋賀県神崎郡生まれ、元版刊行時の職業は長浜ゴム社員。
ここに収載した作品はつづめて云ふと、すべて異邦人の主題を追及したもので、したがってどの作品も戦争でなくなった薄命の一人の女を追憶する主人公の心持がモチーフになってゐます。
「異邦人」と「木枯国にて」の二篇は純粋に書きたくて書いたもので、誰かに読んでもらをうとか発表したいとか、さういふ考へはいささかも念頭になく出来ました。それは無心に近い創作態度で、その后私はこのやうな態度で作品を書くことが出来なくなりました。
小説は第三者に読まれるべき性質のもので、作者の意図を読者に知ってもらへるやうに書く必要があります。それは然し書く者の心掛としては第二義的なことで、只書きたいものを無二無三に書くのが小説道の究極ではないかと思ひます。これは容易に見へて容易でなく、いかなる作家のものでもこのやうな態度で出来たものならば、その出来不出来にかかはらず奇特の作品であります。私は終戦后中国から引揚げ、十年ぶりにペンをとり「木枯国にて」といふ題の下手な小説を書きました。そして偶然、この誰に見せる気持なく拙劣な字で書綴った作品の原稿を、いちばん初めに志賀直哉氏に読んで頂きました。愧ぢ且つ感謝したこと、また当時の自分の暗い閉された心に温い慰藉を恵まれたその思ひ出は常に新鮮であります。
収載作品に現はれている作者の人生観と今日のそれとはいささかのへだたりがあります。然し私はそれには手を入れませんでした。それらを書いた当時はそれによって自分なりに熱心に書いたのだし、また私には今后ささやかなものにしろ新たな仕事が出来るからであります。
この作品集はあすなろ社竹岡準之助氏の厚意によって出来ました。このことは久しくかへりみなかった自作を読みかへす機会を与へられたことになり、今后の自分の仕事の上によい示唆が得られました。
(「あとがき」より)
目次
- 異邦人
- 春いづこの里に
- 彼岸
- 木枯国にて
- 中共兵器工場
- 生者哀歓
- 故郷
- 漂泊
あとがき