1992年10月、文京書房から刊行された荒賀憲雄(1932~)の第3詩集。装画は田辺守人、装幀は大祠正典。著者は京都市生まれ、刊行時の職業は京都府立高校教諭、住所は城陽市。
詩誌『ラビーン』に参加して以来、ほぼ一貫して「山」をテーマにする詩作品を掲載し続けている。
高校時代山岳部に入っていたこともあり、若いころから山へはよく登っていた。しかし詩を書くばあいには、意識的に「山」をとりあげることを避けていたように思う。別のテーマを語るために舞台として選ぶことはあったが。
理由ははっきりしていた。山の詩のばあい避けて通るわけにはいかない自然描写や叙景ということが、伝統詩とのかかわりも含めて、現在の文学の在り方の中で微妙な問題を含んでいること、現在的な立場として、詩作の基盤を、「特殊」な世界ではなく、日常性の中に置く必要、などを感じていたからである。
「日常性」の中で詩を書くことが、しかし、苦しくなった時期があった。
書くためには凝視めなければならない。その対象としての自分の日常が、そのころ、みつめるにはあまりにも苦しいものだった。書くこと自体、何の心の救いも与えてくれないように思われ、無理して書くことはない、と考えるようになっていた。
そのような時にも、仕事の一つとして、若い人達と一緒にかなり頻繁に山に登る機会があり、それは今も続いている。
山道を登りながら、あるいは夜のテントの中で眠れないまま、ふと日常から断絶された時間と空間の中に身を置いて活動する身体のリズムが、半ば習慣になっている言葉のリズムを呼び起こして、そういう言葉を手帳に書きつけては帰りの車中などでまとめるようになった。
そうしたものを、初めはごく軽い気持ちで『ラビーン』に出していたのだが、次第に作品数が増えて、二十近くなったあたりから欲が出始めた。出来れば三度目の個人詩集としてまとめてみたいと思い、天野隆一・天野忠両泰斗のご意見をうかがい、せめて三十ぐらいは書きためてみるようにとの励ましを頂いたりもした。
田中清光氏の労作「山と詩人――明治・大正・昭和の詩と自然」(文京書房)を知ったのもそのころである。過去の近現代詩史の中で、すぐれた数多くの才能を育みながら、しかし「山の詩」というものが、現代の詩壇情勢の中で、必ずしも正当な位置づけをされていないことは事実であろう。
確かに現在、登山人口は圧倒的な広がりを見せてはいる。しかし、「山」を知らない人に、はたして「山の詩」が正しく理解されるだろうか、というもっともな疑問もある。読者の解釈や理解に必ずしも全面的につながっていかないという傾向は、現代の詩としてやむを得ないとも思うが、体験として共有するものが無いから理解することが出来ない、ということにはならないだろう。視点や場を変えることによって、かえって物が見えてくるということもあり、「特殊」が「普遍」につながるということもある。 及ばずながらもむしろ、「山」という窓を通して、日常の「生」を描いてみたいと思っているのだが……難しいことではある。
上梓に当たっては、前記田中清光氏、文京書房の高澤郁氏に一方ならずお世話になった。また、装幀は元『アルプ』編集長大洞正典氏のお手をわずらわせた。併せて厚く御礼申し上げたい。なお拙い詩に花を添えるため装画を寄せて頂いた画家田辺守人氏、編集上貴重なご意見を頂いた詩友なす・こういち氏、二人の旧友の変わらぬご厚情に感謝したい。
(「『山の詩』を書くこと」より)
目次
- 霧の中に
- 足痕
- 声
- 声(二)
- 影
- 雨
- 風
- 眩暈
- 滑落
- 渓間にて
- ある小舎
- 対話
- 雲の塔
- K&K
- 彷徨
- 古い友との写真に
- 道具
- 仙人
- 山姥
- 黒部乗越の珈琲
- 山を去る日
- 餓鬼恋い
- 餓鬼
- 安曇野
「山の詩」を書くこと