SEE SAW シーソー 熊沢加代子詩集

 1988年8月、紫陽社から刊行された熊沢加代子(1947~)の第1詩集。装幀は板垣光弘。著者は福岡県生まれ。

 

 できることなら、何もしないで暮らしていきたいと思っています。事実、朝起き上がるベッドに、夜またもぐりこむまでの一日、私はそれほどたいした事はしていないようです。けれど、いくら何もしていないと言っても、見えるものは見るし、聞こえるものは聞くし、手を伸ばして触れるものには触ってみます。そのように、何かを見たり聞いたり触ったりしていると、何かを思い、何かを考え、何かを感じるものです。そこに何かが生まれるもののようです。また、見えるものを見続けていると見えないものも見えてくるし、聞こえるものを聞き続けていると聞こえないものも聞こえてくるし、触れるものに触っていると触れ得ないものにも触れるのではないか、と思うことがあります。そこにもまた、何かが生まれるもののようです。
 私にとって詩とは、農夫にとっての鍬のようなものです。何かが何であるかを知る為には、その何かを耕してみなければなりません。
 鍬を持って……美しく磨かれた、或は、鋭く研ぎすまされた鍬。その鍬をもって農夫は畑を耕します。この場合畑とは人間の内なる世界を意味します。私は、今私が生きているこの世界とかかわっていたい。それが人間のする事であれしない事であれ、全てが地引き網のように結ばれているこの内なる世界とそれも、大声を上げたり動き回ったりするのではなく、出来ることならソファに足をなげだして、何かを考えたり考えなかったり、思ったり思わなかったりしながら……世界とかかわっている人間のことについて……。私は、表向きはかなり人間嫌いですが、本当は人間好きなのです。
 詩は言葉によって生まれますが、それは、詩が言葉を呼び寄せるからです。言葉が詩を書くのではなく、詩が言葉を書くのです。出来ることならそういう詩を書きたい。
 「詩の教室」を通して多くのことを教えられ、この詩集を出すにあたって助言していただいた吉原幸子先生に、心より感謝いたします。
(「あとがき」より)

 


目次

  • 風景としての死
  • 時間
  • 雛を飾る
  • 西友ストア
  • 青空
  • 一九八六年四月十日
  • あいうえおのおかしな詩
  • キリンの樹
  • SEE SAW
  • はばたく
  • 家庭
  • 血縁
  • 暮らし
  • 待つ
  • 葬儀
  • 初冬
  • 暇な時間
  • 家庭の明かり

あとがき

 

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