安西冬衛 モダニズム詩に隠されたロマンティシズム 冨上芳秀

 1989年10月、未来社から刊行された冨上芳秀(1948~)の評論集。

 

 安西冬衛の作品と最初に出会ったのは、私が自覚的に詩を書き始めた頃であるから、もうかれこれ十八年以上も前のことである。有名な「春」と「軍艦茉莉」の印象は強烈なものがあった。その後、一九七五年、堺市立図書館に安西冬衛文庫が開設されたという新聞記事を読んだのが、本格的に安西冬衛にのめり込む最初のきっかけであった。瀟洒な装丁の「亜」三十五冊や詩集『軍艦茉莉』を最初に手にした時の感動は、忘れられないものである。当時、岸和田市定時制高校に勤めていた二十七歳の私は図書館の開館と同時に慌ただしく請求用紙に書名を記入し、出勤間際まで、安西冬衛の書き込みのある旧蔵書に目を通した。この作業は何年続いただろうか、私は詩人の息吹を感じ、共に語りあう幸せな時間にひたることができた。次第に資料を調査する楽しみを覚えた私は、毎年夏休みには上京し、国会図書館日本近代文学館、また昭和女子大の図書館にまで足を運び、コピーを取り続けた。
 一九七七年一月から一九七九年四月まで、私は詩誌「内部都市」に三回「安西冬衛ノート」を寄稿した。また、それを一九八〇年五月から自分の属していた「詩的現代」に訂正加筆する形で「安西冬術論」として発表し、一九八三年八月まで七回にわたって連載した。これは本書においては序から第六章にあたる部分である。第七章は「詩と思想」第二巻二十一号(一九八三年五月)に発表したものである。一九八六年二月から一九八八年二月まで大阪文学学校の機関誌「樹林」に「安西冬衛論ノート」として十回にわたって連載した。これは本書においては第八章から第十五章にあたるものである。
 安西冬衛を論じるためには本文では触れなかった難しさがあった。それは使用漢字の特殊性によるものである。普通には使われないような見慣れない印刷所泣かせの活字が多いのだ。同人誌のような所ではとてもその要求に応えきれない。一九八三年八月から一九八六年二月までの中断もその理由によるものであった。実際、情け無いほど漢字には神経を擦り減らした。本書では詩の引用については原作の味を損なわないように旧漢字のままにした。どうでもいいような散文の引用は適宜新漢字に手直しした。戦前、戦後においてバラバラに使用されている滝口武士については「瀧」ではなく、地の文で使用した「滝」に統一したが、便宜的なものである。
 長い歳月をかけてようやく本書が上梓できたのは、多くの友情の支えがあったからだと思う。特に未来社の西谷能英氏には色々と適切な助言をいただいた。本当にありがとうございました。気がつけば私はもはや不惑の年になっていた。二十代の後半から三十代の大部分を私は安西冬衛にこだわり続けてきたのだった。いや、これからも安西冬衛からは学ぶことは多いけれど、さらに大きな一歩を踏み出したいものである。
(「あとがき」より)

 

 

目次

  • 第一章 短詩と散文詩――「亜」を中心として
  • 第二章 悪の美学――詩集『軍艦茉莉』の世界
  • 第三章 地理的世界と言葉の難解性――詩集『亜細亜の鹹湖』 
  • 第四章 地理的ロマンティシズムの世界――詩集『渇ける神』 
  • 第五章 詩集『大学の留守』に見られる日本的なるもの 
  • 第六章 戦争詩の問題
  • 第七章 詩集『韃靼海峡と蝶』とその周辺
  • 第八章 詩人の孤高な栄光と悲惨の〈座>――詩集『座せる闘牛士』 
  • 第九章 「春」(てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った。について
  • 第十章 詩誌「亜」三十五冊
  • 第十一章 大連時代の安西冬衛の周辺、その他
  • 第十二章 「詩と詩論」と「詩・現実」の分裂
  • 第十三章 「死語発掘人の手記」から「西班牙の証言」まで 
  • 第十四章 稚拙感とコレスポンダンス
  • 第十五章 安西冬衛の詩史的位置と現代的意味


略年譜

あとがき


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