思潮社が会社設立35周年を記念して制作した176ページのアーカイブ集。非売品。1991年12月24日印刷。現代詩文庫は100番の「平出隆詩集」まで。
1955年、日本未来派から発行された港野喜代子(1913~1976)の第二詩集。装幀は赤松俊子。第一詩集『紙芝居』(1952)以前の未発表のものと、1950年以降に発表された作品の中から選ばれた54の詩篇。
金魚が机の上に身を投げて乾いていた
水槽の中では、仲間達が片すみに集つて
よごれた水をかなしみ合うことばが
プチリ、プチリ私に伝わつてきた。(「序詩」より)
目次
あとがき
荒川洋治の紫陽社から1975年に発行された清水哲男の第三詩集。第25回H氏賞受賞。
『喝采』(一九六四年・文童社)『水の上衣』(一九七〇年・赤ポスト)につづいて、三冊目の詩集ということになる。
京都での学生時代に書いた十年以上前の古い作品も三篇あるが、その他のものは、ここ五、六年の間に、ぽつりぽつりと書きためたものだ。
ぼくはいわゆる抒情詩しか書かないし、また書けないが、その理由は簡単で、ぼくの詩は常に具体的な読者像を想定してしか成立しない、と信じこんでいるところがあるからなのだ。それが言葉の正確な意味での通俗的な抒情という方法を採らせてきたわけだし、したがって、おのずから作品のスタイルも異ってくることになった。つまり抒情は投網のように人を包むが、しかしそれはすぐに破れてしまうことで、ぼくが勝手に想定した読者に対して犯す非礼は、結局ぼく自身を撃つことで終ることになる……。すべての抒情の詩がもつこの本質は、ぼくなどのように臆病な人間にとっては、なじみやすい性質のものであるようだ。
(「あとがき」より)
目次
美しい五月
舟に託して
就眠試験
椅子のある場所
誕生日について
紙風船のとき
吹き寄せ私信
馬は眠るよ
如月木葬
種子の明晰
たとえば……
僕が君をどんなに好きか、君にはわかるまい
少女の理由
THE BIG SLEEP
スピーチ・バルーン
1チャーリー・ブラウン
2ブロンディ
3ミッキー・マウス
1985年に30歳で亡くなった氷見敦子(1955~1985)の全集。思潮社から1991年に発行された。編集委員は、江森國友、上久保正敏、近藤洋太、添田馨、野沢啓。墓碑が鎌倉霊園にある。
墓標銘
「花の精」幼ないころ見た。
夢の匂いが、漂よってきます。
以下、栞に寄せられた文章から抜粋。
謹んで氷見敦子さんの霊に申し上げます。はじめて私が貴女にお逢いしました時、貴女は妖精のように、優しく、繊細に美しい姿をして現われました。そしてその差し出す「詩」はつねに鮮やかな黄金の才能を軽やかに打ち伸べたように、その輝やきはつねに私を魅了しました……(江森國友「弔辞」より)
氷見さんのお墓ができたというしらせをもらって「SCOPE」の仲間と逗子の氷見家を訪ねたのは一昨年の十二月のことだった。その折、ご両親から氷見さんの遺稿のなかから本としてはまとまらなかったエッセイ類を集めて出版したいという意向をお聞きした。それなら私たちも協力させてほしい旨を伝え、昨年の四月、もう一度うかがって未見の作品を預かってきた。その計画がこのたび全一巻の全集として実現することになった……(近藤洋太「氷見さんと『家』」より)
氷見敦子のこの詩集に収められた詩を読み返してみて、ことばというものがこの世のもの、つまり人間の現実のものなのだということを改めて考えさせられた。この人間の現実はことばでつくられているのだと改めて考えた、といいかえてもよい。ことばで語ることによって、人間の現実ではなかったものが、人間の現実のものとなる。氷見敦子の詩はそこに境界があって、ことばで語ることによってその境界がどんどんと広がって行くのを目の当りにさせているのだと思える。氷見敦子のことばの力はその境界を押し広げて力なのだ……(鈴木志郎康「生き返った力」より)
目次
[詩篇]
[散文]
エッセイ四十五篇
[書簡]
約百通
[日記]
約百項目
[資料]
年譜・参考文献=添田馨
解題=近藤洋太
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