2008年10月、思潮ライブラリー・名著名詩選の1冊として復刊された小野十三郎(1903~1996)の詩論集。定本は1962年版。附録栞は、金時鐘「私の出会った人々」、冨岡多恵子「小野十三郎の死」、倉橋健一「小野十三郎管見」、寺島珠雄「『詩論+続詩論+想像力』解説・編注」。
目次
- 詩論
- 続詩論
- 想像力
解説/花田清輝
1995年12月、西田書店から刊行された川村りつ子(1955~)の第2詩集。カバーデザインは前川眞理子。
この詩集の標題「ブリュッケ」とはドイツ語の〈橋〉のことで、幾世紀も経て現存している石造りの、人が渡る上では壊れることのない頑強な橋のことである。
学生時代、私を悩ませたある哲学者は、「詩人の唯一の詩というものは、語られぬまま残っている」と語った。
(「あとがき」より)
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あとがき
2006年7月、思潮社から刊行された吉田文憲(1947~)の第8詩集。装幀・挿画は福山知佐子。
目次
Ⅰ
Ⅱ
Ⅲ
Ⅳ
Ⅴ
2005年5月、龜鳴屋から刊行された伊藤人誉(1913~2009)の随筆。戦前戦後、馬込の室生犀星宅を留守番していた時代の回想。表紙は前田良雄の手摺木版。画像は普及本。
フィクションにしか興味のなかった私が「馬込の家」に手を着ける気になったのは、室生朝子にこういわれて頼まれたからである。「戦時中の自分(犀星)のことは、お父さまも書いていないし、誰も書いた人がいないの。そこだけが脱けているのよ。ジンヨさん書いてよ」
二十年か、もしかしたら三十年以上も前のことで、そのときに私の考えた表題は、犀星の詩の一行をそのまま使った「われはかの室生犀星なり」だった。書き上げたあとで、朝子が連れてきた出版社の人に見せると、本にしたいという意向をもらしていたが、なぜか実現しなかった。
二、三十年振りに原稿を取り出して、すこしばかり直した上、私はそれに室生朝子の結婚の裏話や、犀星の父親についての私の疑いや、晩年の犀星をめぐる女たちの話を書き加えた。古い記述と新しい記述のあいだが離れすぎているから、私自身の文章も変わったろうし、室生朝子が書いたものをそのまま取り入れた個所もあるので、波の立ち具合いに不揃いなところが見えるように感じている。しかしそれを直すには、初めから全部書き直さなければならない。今の私にはもうできそうもない。文章というものは、書けば書くほどうまくなるとは限らないが、変わることだけは確かである。
(「あとがき」より)
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「馬込の家」はなくならない 栃折久美子
あとがき