1980年10月、創樹社から刊行された牛島春子(1913~2002)の散文集。著者自装。
今年(一九八〇年)の八月、私は中国東北区の長春に旅をすることができた。三十四年ぶりだった。私は駅前の宿から八キロ余りの道のりをテクテク歩いていった。そしてかつて自分の住んでいた家が今もそのまま其処にあり、中国人の家族が住んでいるのを見て、なんともいえず感動し、私のなかで一つのものが静かに終ったのを感じた。
今度、私はその戦後の三十年余の自分の小さな足跡を、いくらか羞かしい思いをしながらやっとふり返えることにした。旧満州にいたときいくつか小説を書いてはいたものの、引揚げてきたばかりの私は、まるで他国人のように日本の様子はわからなかった。それにまず食べることを考えねばならなかった。そんなとき、ある日突然新聞社の人たちの訪問を受けてあわてた。わからないながら求められると書きしている内に月日が経ち、日本は政治も社会も移り変ってきたが、私は自分なりに考えて書いてきたと思う。
ここに蒐めたものの大部分は「西日本」「フクニチ」「毎日」「朝日」「読売」の各新聞に載ったもので、ルポルタージュは「新週刊」「婦人画報」にも書いた。二十枚以内の短篇は「芸林間歩」「九州文学」などに書いた。
新聞が半枚、裏表二面しかなかった頃、テレビが今のように普及する前、優れた映画が沢山上映されて、私たちの心を潤してくれていた頃、才能のある戦後育ちの女性たちが輩出するすこし前――そうした時代から書いてきたものである。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ
- 引揚者の絵葉書
- 書けざるの記
- 三児を連れて
- 重たい鎖
- ある微笑
- わたしの戦後
- 父祖の地笠原
- 福寿草
Ⅱ
- ベトナム訪問記
- 東南アジアの旅から
- ジャカルタの町角で
- バリ島を想う
- アンコールワット
- かすみの奥から
- ある作家のデモ参加
- 自然と人間の調和
- 韓国孤児の母 永松カズさん
- エレンブルグ著「雪どけ」
- ハンガリーの悲劇について
- 慎重な発音
- いわゆる「女流作家」について
- 夫と妻の会田
- 「四十八歳の抵抗」の西村さと子
- 私の「ツタンカーメン展」
- 浜田知明「狂った男」
- 「これは全部私だ」
Ⅲ
- 一日精神病院長になって
- ある結婚通知
- 夢について
- デイモン
- 庭との対話
- 夏の感傷
- 早春の感覚
- 梅におもう
- 初夏の感想
- 樹木の命
- 母ネコ
- 亀と私
- 冬について
- ばらの枕
- 動物園で
- BIKO追悼
- 着物への郷愁
- 並んでいます
- タクシーにのって
- 旅の目
- 三枚の人生
- めだか
- 若い陶工
- 裁判
- 友一人
- キリスト
- ある暑い日に
- ”人間万事……”
- 明けゆく農村
- 酔っ払いは悲しからずや
- おばあさん
- 韓国の女性
- 白衣
- 筍の世代
- 一椀の牛乳
- 「ぬけられます」
- 日南の旅から
- 思い出の旅
- 博多・大橋
- わが町
- 冬の柳河
- 私の故郷の味
Ⅳ
- 「ゴルゴタの丘」
- 「ガラスの城」
- 「もず」
- 「灰色の服を着た男」
- 「殺意の瞬間」
- 「夜の河」
- 「終着駅」
- 「王様と私」
- 「カビリアの夜」
- 「体の中を風が吹く」
- 「追想」
- 「素直な悪女」
- 「愛情の花咲く樹」
- 「青い潮」
- 「土砂降り」
- 「白い恋人たち」
- 「六條ゆきやま袖」
- 「情事」
- 「白い牙」
- 「二人だけの窓」
- 「スパイ」
- 「女」
- 「山麓」
- 「若者はゆく」
- 音楽映画について
Ⅴ
- 火山灰地の女たち
- ひきさかれた三池
- 黒い羽根の地帯を行く
- 狂った日々――ある習作
- 少女
- 馬吉
- ピストルとあめ玉
- ある街角で
- 山の宿
- せせらぎ
- 夕立
- 浴室
- 夜
あとがき