歌集たまゆらのいのち 時井佳代子編

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 1981年7月、短歌新聞社から刊行されたアンソロジー水子地蔵尊を題材として詠まれた短歌作品集。編集は時井佳代子。

 

「短歌現代」に掲載された私の一首の歌が、時井佳代子さんという一人の作歌者に感銘を与えたということ自体、奇縁といわなければならない。確に時井さんがこの歌集を編集することになるモチベーションの役割を果すことになった一首は、私の過去の誰にも語らなかったセクリスィに触れた。
 戦後の混乱期に、私は満洲開拓のための鍬の戦士として郷土より送り出されて来た少年達の中から、将来の指導者とすべく選んだ五百名の学生のうち、両親の承認を得た百三十名と共に、千葉県下志津原の中央部・鹿牧ヶ丘の開拓を推進していた。家庭や親兄弟のことを考える時間的・経済的余裕はなかった。妻の胎内に宿った生命を二回失ったのはこの時期であった。鎌倉長谷寺の数万の水子地藏尊の群像の中に佇って、何十年もの間、真正面から二つの私の分身である水子の霊にカンフェシャンする素直さを忘れていたことを悟り、その瞬間に地藏尊の庇護下にあった二つの水子の霊と逢い得た思いが、私の心に充足感を与えた。その感動を心深くうづ<二つの悲しみの水子の霊とあひしたまゆら>と歌い、「短歌現代」の要請に応えて、他の六首と共に送ったのだったが、その一首がこの歌集の原点となったことは、二つの水子の霊を護持して下さった地藏菩薩の霊力によるものだと思う。
 この歌集『たまゆらのいのち』の編者時井佳代子さんは、昭和二十三年、秋田市曹洞宗鱗勝院住職三浦賢童氏を父として生まれ、秋田北高等学校・日本通訳検定協会付属通訳養成所卒業後、英国キングズ・スクール・オブ・イングリッシュを卒業して在家の時井英吉氏と結婚し、シンガポール駐在員となるなど、まったくの現代家庭の若い主婦であり、二児の母親である。ただ一九にし歳から作歌を始め、三年前からアララギに所属する良師の添削を受けているという短歌との縁と、寺院住職の家に生れた縁の複合が、水子霊の慰霊と、ひいては水子の生命の尊重の願いをこめて、水子鎮魂歌集編集の発願をするモチベーションとしての私の歌との出合いとなったのだと思う。それにしても私の歌が昭和五十四年八月号の「短歌現代」に掲載されるということも、この歌を含む「雪の下咲く頃」の一連の作を送ったということも偶然にしか過ぎない。私が冒頭に奇縁といったのはそのことである。
 ただ偶然が累積すれば、そこには動かし得ない確率が発生する可能性がでてくる。時井さんは、父君が歴史や民俗学・仏教哲学に対する深い造詣を持っていたことの影響や、幼時に失った母親が病弱のため人工中絶をした香かな記憶が意識下から浮上してきていることに気付いている。附録に集録した、歌碑・東北地方の「子消し」伝説・水子を救うための水子供養を(菊田昇医師)・戸籍法・優生保護法・地藏菩薩御和讃・栃木刑務所と水子地藏尊・「願」の地名の由来と賽の河原。地藏信仰と水子地藏尊等にその片鱗を窺うことができる。
 私の郷里茨城にも「子おろし」の悪習があったことは、長塚節の『土』がおそろしい程リアルに表現していることでもわかるであろう。また長塚節と水戸中学時代同級であった私の亡父誠之介が私に教えてくれた「頸曲り」の村人は、私の祖父が泣き声に馳けつけて救った一人であるという話。等々、貧困と衛生知識の欠乏、医療施設の不備等から発生した夥しい、受胎・出生にまつわる悲話・哀話が、新しい時代に、新しいベールを被って発生している事実を、この歌集が集録した百二十四名、三百三十七首の歌が、それぞれのペーソスを秘めて語りかけてくれるであろう。
(「序/加倉井只志」より)

 

 

 

 当歌集は、水子又は水子地藏尊を題材として詠まれた短歌作品を収録したものです。昭和五十四年七月、新潟県村上市羽黒町八の十普門山東林寺(住職竹内越州氏)内に、住職の悲願に近隣の多くの方々の協力を得て水子地藏尊が建立に成りました。
 これを機とし、私が仏縁に育っていること、又建立の通知を手にしたその日、偶然にも「短歌現代」五四年八月号作品の中で、千葉県在住の歌人、加倉井只志氏の歌、

 心深くうづく二つの悲しみの水子の霊とあひしたまゆら

に出会い、深く心打たれ、作品集作成を志したものです。
 当初は、数少ない手持ちの歌集や雑誌からの収録だけでしたが、一首でも多くとの願いからこの主旨を”「短歌現代」ハガキの広場”を通じて御協力をお願いしましたところ、幸いにも全国から多くの心のこもった歌の紹介の手紙を頂きました。
 これ等に加え、短歌の諸先生、諸先輩の御助言、又その後、私が歌集、新聞、雑誌等より収録した歌、合わせて三百三十七首、百二十四名の作品を収録しております。
 大半の作者の皆様には、短歌年鑑、電話番号簿、又は雑誌社、新聞社、結社等への住所の問い合わせにより、手紙、電話で直接収録のお許しを頂いていますが、如何にしても住所を調べ得なかった幾人かの皆様、又中には故人となられた方も居られ、この皆様には、此処であらためてお詫びとお願いをしたいと思っております。
 収録を通じ、「水子」の意味そのものが問題となりました。辞書に拠ると「生れてから日のたっていない子。あかご」の意も多いようですが、小学館発行『日本国語大辞典』などには「胎児、特に、流産したり、死産、又堕胎した胎児」とあり、現在一般的には「生れて間もない子。又何らかの理由―流産、死産、人工妊娠中絶などにより、母体内にあった胎児がこの世に生を受くることなく死亡した」場合をさしているのではないかと思われます。なお、当歌集における短歌の配列は、収録順となっております。
 又、かな遣い、漢字(旧・新)は原作のままとしましたが、地藏尊の「藏」の字のみは、総ベて旧漢字に統一させて頂きました。
 歌集の題名「たまゆらのいのち」は、歌集の原点となりました加倉井只志氏の歌の中の言葉「たまゆら」を使用させて頂きました。
(「はしがき/時井佳代子」より)

 

目次

 

序 加倉井只志

  • はしがき
  • 短歌作品
  • 水子地藏尊供養詠進歌
  • 附録
  • 歌碑
  • 東北地方の子消し伝説 小松武文
  • 水子を救うための水子供養を 菊田昇
  •  補則
  •  戸籍法
  •  優生保護法
  • 地藏菩薩御和讃
  • 地藏菩薩御詠歌(慈念)
  • 水子地藏御和讃
  • 栃木刑務所と水子地藏尊
  • 「願」の地名の由来と賽の河原
  • 地藏信仰と水子地藏尊

あとがき

 

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