魚歌 齋藤史歌集

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 1940年8月、日本打球社から刊行された齊藤史(1909~2002)の第1歌集。装幀は棟方志功。新ぐろりあ叢書14。著者は東京市四谷区生まれ。

 

 齋藤史さんは僕にとつて十何年來の親しい友であり、また僕の主宰する歌誌「日本歌人」の最重要同人のひとりとして、常になくてはならぬ人である。その作品は「日本歌人」以前の歌誌「短歌作品」時代から見てをり、更に遡れば昭和のはじめ「心の花」時代のものをもよく承知してるるのである。
 史さんの作品が著しい變貌を遂げたのは、昭和六年「短歌作品」創刊の前後からであり、昭和九年「日本歌人」の發刊となるに及んで、特徵は一層はつきりして來たやうである。いはめる「日本歌人」風としてのそれらの作品は、從來の歌壇には全然見ることの出來ぬ新しいものであり、その絢爛たる優美さは「日本歌人」の中にあつても、また飛びきりのものと思はれた。
 正直に言って僕はこのやうに新しく、このやうに美しい歌の存在を疑って見たことさへある。
 歌集「シネマ」の作者たる石川信雄君の作品と共に「日本歌人」に於けるこの男女二人の作品には少なからず內心僕は辟易してるた。それ程美しく新しくありながら容易に歌壇の注意を惹くに至らなかったのである。それは今日の歌壇が惡い狀態にあるからだとしても、良いものは良いに相違はないのである。たとひ歌壇の傾向とおはよそ裏腹をめく作品であつても、良いものはいつか必ずあらはれずにはおかぬ。史さんの作品が次第にあらはれ、今では歌壇全體が認めるやうになつただけでなく、言ふならば女流としての人氣を一身に背負った形と見える。これは別して不思議でなく、その實力よりして極めて當然な成りゆきながら、僕にとってもやはり十分に嬉しいのである。
 然し人氣と言っても歌壇のそれは、例へば他の流行の小說家などの如く根無草ではない。認めるのも容易に認めぬ代り、一度び認めてしまへば滅多に動かぬ、地道な世界であるだけに一旦かお得た榮位といふものは、ちよつとやそつとでは崩れぬのである。けれども史さん自身にしてみれば、恐らく今日ぐらゐむづかしい時もないのでないか。聰明な史さんはさういふ事情を知らぬわけではない。それ故たいがいわめいたりふためいたり、或は金切聲を出したりするのとは反對に、その態度たるや極めて靜かに落着いてをり、ひたすら作品主義に深く心を沈潛せしめてゐる風である。かかる態度といふものは易きに似て易からず、よく何人もなしうるものとは思はれない。並々ならぬ證據であらう。
 そこで史さんの作品について、僕の考へてゐる一端を述べておきたい。それは今も言ふやうに史さんの作品は優美であり、絢爛眼を奪ふばかりでありながら、それに眩惑されてしまつてはよくその本態が把握出來ない。と言ふのは、外側は極めて美しい、調子にしてさんまことに流麗そのものであるが、さて一歩內側に立ち入つて見ると、それは單なる優美とか爛とか流麗とかいふものだけではない。もちろんそれは史さんの持前に相違なくとも、また實にきびしい生活の場に立たされてゐることが分るのである。強調すればこれくらゐ苦澁を湛へつつ歌つてゐる歌人もめづらしい。それが見えなければ史さんの作品を味はふ資格がないとも言へるが、大體詩歌といふものは元來がさうしたもので、內部が透きとほつて何もないやうな美しさは本當の美しさではない。內部が苦雄にみちてるれば、外側は却って一層美しく粧はれなければならぬであらう。史さんの作品を單に美しいだけのもの、新しいだけのものとしたがる性急の讀者に對する、これは一つの警告である。それ故、史さんの作品を特にさういふ積りで讀んでもらひたいと言ふのでなく、ひとへに史さんの詩人的立場を物語つたに過ぎない。
 然し史さんの作品は例の二・二六事件以來ひとしほ深みを加へ幅を瑠したものと僕は思つてゐる。それは史さんの父君たる瀏氏こそ、その事件に連坐された唯一の將軍であつたからである。瀏氏は「心の花」の歌人であり、僕にとつては先輩の兄弟子であるが、この事件がどんな影響を史さんに與へたかといふことは、ここで僕などの彼是言ふべき筋合はない、たださうした大事件に遭遇しても史さんは決して取り乱したりせず、寧ろそれは作品の中に極めて奥ふかく藏ひ込まれてるるやうである。優美な、絢爛な、さうして流麗な作品が、それがそのままの姿に於いて著しく變貌しつつあるのはそれ以來のことである。年齢のせゐもあらう、しかし作品の一人歩きといふことがよく言はれるが、史さんの作品も單に女といふ立場を離れて、今ではどこへでも一人歩きが可能となつた。かういふのは女の作品にあつては實に珍らしいこととしなければならぬ。
 この歌集には初期のものは別として史さんの全作品が収められてゐる筈である。數から言つて決して多い方ではないけれど、それだけに一首々々は十分熟讀せられねばならぬ。それにこれらの作品は歌人だけでなく、ひろく一般文學藝術の士に讀まれるべき意義は十分にあると僕は信じてるる。然し史さん自身にしてみれば、この歌集はやはり一つの道程であつて、これからこそが肝腎である。稀有の才能に恵まれ、然して理解ある家庭を持たれてゐるのである。ここで更に努力せられるとすれば、かの與謝野晶子夫人以來、絕えて久しい女流歌人として百花接亂の世界に出ることも決して至難とは思はれない。
(「序/前川佐美雄」より)

 

 

 「魚歌」は私のはじめての歌集です。
 歌數三百七十三首。製作年代は昭和七年から昭和十四年春まで。我々の仲間が昭和六年「短歌作品」に集つてから「カメレオン」を経て「日本歌人」の現在に至つた道すぢのものを主として集めました。それ以前のものは、今度は切り捨てたので、例へば昭和八年中の、父を歌ふ、の一聯など、唐突な感じになつて居ると思ひます。がこれは、自分の記念として入れて置きました。他にも父の事を歌ったものが割合に多く出てまゐります。その事實については、父齋藤瀏の歌集「波濤」を御讀み下されば、いろいろはつきりすると思ひます。當時の私としては、かうした歌ひ方をしなければなりませんでしたし、又自分にはこれでよかったとも思はれます。
(「後記/齋藤史」より)

 
目次

序 前川佐美雄
・昭和七年(二十三首)
飾窓
租界
・昭和八年(三十四首)
面紗
舞臺裏

父を歌ふ
・昭和九年(四十三首)
痴春
忘却
方向
飛翔
・昭和十年(四十首)
骨格
五月

スケルツオ


・昭和十一年(二十二首)
濁流
・昭和十二年(三十五首)
暮春
記錄より
・昭和十三年(六十八首)
水流

夏草

・昭和十四年(百一首)
歷史
遁走
白夜
故山
夏日
雨滴
谿
霜天
歷史の傾斜
・昭和十五年(七首)
冬日

後記

 

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