1966年9月、未来短歌会から刊行された沢章二(水野禄朗)(1920~?)の歌集。著者は岐阜県恵那市生れ、刊行時の住所は名古屋市中区。
本書に収めた歌は昭和三十三年十一月号から、昭和四十年十二月号までの「未来」に発表したものである。それに「短歌」(角川賞候補作)「短歌研究」に載った若干を選んで加えた。
私は昭和十七年頃歌を作り始めた、アララギに入会し土屋文明氏の選を受けた。以後「潮汐」「新泉」に、しばらく席をおいた。昭和二十一年八月「天雲」(国立岐阜療養所天雲短歌会)復刊から、「未来」創刊を経て今日に至るまで、多く近藤芳美氏の選によって学んだ。私には「未来」が唯一の勉強の場であった。
発病から本日に至るまで二十六年間の歳月を経、歌を始めてからすでに二十三年を数える。出生地にある岐阜県恵那市国立岐阜療養所で病いを養なった。その間、再三にわたって、社会と療養所の間を往復したが、臥して病床に呻吟することが、はるかに多年にわたった。よって本書もかかるむざんな病床詠で覆われることになった。
処女歌集「春浅く」「第一未来歌集」に次ぐものである。しかし事実上、単独歌集として始めて世に問うものである。
本書は、畏友吉田漱の強力にして、執拗なすすめと、岡井隆始め「未来」の友人たちの協力によってなったものである。殊に山深い私を訪ね、歌集出版に就いて積極的に東京と私との橋渡しと、以後出版までの連絡を担当してくれた大島史洋、出版事務一切に就いては、今西久穂、その他黒田陽子、竹波愛八、身辺雑事一切を引受けてくれた鈴村宗徳、上野克諸君らの協力を忘れない。
序文を下さった近藤さん、猶重ねて吉田君には編集、装幀をお願いした。記して以上の方々に心からお礼申し上げる。
長い療養生活に於いて、私のついの支えである妻と娘かや子にひそかに此の書を捧げる。
(「後記」より)
目次
沢草二の歌集によせて 近藤芳美
- 冬の柵の中
- 遠き死
- 光る冬草
- 生きんとして
- 朴を吹く風
- その死の夜に
- 落葉吹く風
後記
跋 吉田漱