1962年3月、Vieの会から刊行された小山牧子の第1詩集。レイアウトは小山泰司。刊行時の職業は兼松社員。
小山牧子さんは大阪の本町にある、兼松株式会社に勤めている、BGである。
年令は二十六才。事実、彼女の年令を知ったのは、この詩集がつくられることになつて尋ねたことによる。ところが、現実の貌は成熟と混り合った少女。不安定さそのものの年令を、肉体で生きているふうだ。
この詩集におさめられている十七篇は、ほとんど「状況」という現代詩サークルを指導していたとき、見せてもらっているものだが、それだけに再認識のチャンスが与えられた気持がするわけだ。
ある日、ある時、彼女は、リュックサックにいつぱい詩稿を背おつて、東京の詩壇の偉い詩人たちの誰彼を問わずノックしてみたい、といつたことをもらしていた。ウオーツ ウオーツ ウワアーツ
最後は生殖器をこまぎれに
お粥をすゝり合つてさよならゆくりなくもこの三行の詩句を思いうかべたくなる。すすんで吠えついて「存在」をさしだす烈しい渇望。それは彼女の姿勢と詩の表裏をなしている。
ただただエネルギーがみちあふれ、アンモニアのような微笑があるばかりだ。
でも、お嫁になんか行きたくない。お茶やお花はくれてやる、という覚悟のほどは、むろん、男性を発案した女という性の、不躾なプロテトスであろうが、この詩集によつてそのことを証ししているかのようだ。
そして、容赦なく衝撃しているところは、まさしく彼女の時代がきたという気持がする。
(「解説/君本昌久」より)
くらい沼からはい上つて太陽の下での生を得るために詩を書いている私にとつて詩集はその脱皮の記録です。ここに収めた作品全部は一九六〇年と六一年に書いたものですが
(Ⅰ)の牝牛をあつかったものでは牝牛という一つの言葉に出来るだけイメージの可能性を盛り上げて見たいと思いました。
(Ⅱ)は密室の中でしか生きることができないひとたちの一人、私へのエレシーです。
この第一詩集を後に私は次ぎの駅へ出発します。なんだかとてもすがすがしい気持です。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ 牝牛
- 立つている牝牛
- 背負う牝牛
- ねそべる牝牛
- やせる牝牛
Ⅱ 生きる
- 私刑(リンチ)または舌によるむち
- 構成(Ⅰ)
- 構成(Ⅱ)
- 猿人
- 三等病室から
- 生きる
- 輪唱
- 曲り角
- ほうむる
- 鎮魂歌
- 窓
- 挽歌
- いとなみ
解説 君本昌久
あとがき
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