1983年5月、書肆いいだやから刊行された高橋秀一郎(1937~1991)の第6詩集。著者は埼玉県生まれ、刊行時の住所は埼玉県玉町。
六年ぶりの詩集である。もう何年も前から詩集をまとめようという気持はあった。気持はあったのだが、もうひとつ自分の詩に対する強い思い入れが欠けていたように思う。詩集を出すということが私の現在にとって、なにか少しおこがましいようにも思えてならなかったのである。私が詩を書くことがどういうことなのか。私は自ら問うよりも先に書いてしまうという不可解な自分自身を、私は一種なげやりな気持で支えてきていたように思うのである。不可解ではあるけれども、私が書くことによってしか出立できないものだとしたら、書いたものが私自身の問いの応えでもあるのかも知れない。私は自らの書いた作品をまとめることによって、自らを問いたいと思うのである。
本詩集を二部に分けたが、Ⅰの「直立猿人の死んだ朝」はそれだけで一詩集としてまとめたいという気持があって、直立猿人つまり原人間の死というテーマがあった。Ⅱの「私篇」は、いってみれば私自身の身近かな記録の詩であって、私的な感情の関りのある出来事あるいは記憶をとどめたにすぎないものかも知れない。また本詩集の「岬の遠景」という題名には、それほど重い意味はない。巡りめぐって私が立つ現在の岬から見わたせる風景はまさに限られているといってよいだろう。かすむ遠い島影か、涯しのない海原か、または漆黒の宇宙か。もしかしたら不可解な感情という星雲か。いずれにもせよ、私は未知の彼方を、さぐるように見ている。遠景はついに遠景でありつづけるだろう。だが私が岬で見る遠景は、私にとって可能でありうべき未来でありつづけるだろうし、いま、かろうじて見える遠景だけが、私にとってのかそけき希望でもある。
(「覚え書きなど」より)
目次
・直立猿人の死んだ朝
- 直立猿人の死んだ朝
- 朝飜える
- 陸と運河
- 味覚
- 液態
- 誤差のリズム
- 海と欲望
- 滴り
- 暗室
- わが町
- 光る墓
- メタリックスカイ
- 橋尽きて
- 向日葵
- 独楽
- 岬にて
・私篇20
- むかしうらぶれた喫茶店で
- 津軽
- 酔い
- レモンの耳
- 鬼城
- 酔ってよぎる
- 小さきまちよ
- 見えない飛行機
- もがり笛
- 叫び
- 遺品
- 十一月
- 詩人の死
- 記憶の終焉
- 悲鳴
- 糸
- 小さな花屋の店の奥の
- 死んだ男の家
- 流れるプールサイドの陽射し
- サッカーの庭
覚え書など