ガラスの檻 稲葉京子歌集

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 1963年、作風社から刊行された稲葉京子(1933~2016)の第1歌集。

 

 稲葉さんの歌には、人の胸をぐさりと突き刺して平気でいるといったところがあり、そういうところを私はかねがね頼もしいと思っている。女の人の業のようなものを、いろんなことに仮託して歌っており、一寸見にはきらびやかな才筆だが注意して覗いてみると心は傷だらけで、それこそ血が滴っているようだ。

 硬貨など貯め居る吾を嘲ひ給ふアンデルセン
 集買はむとおもふに
 豚雨よりかばひ帰りし薔薇束をわが汚れざる
 部分とおもふ
 
 これは昭和三十三年ごろの作品だが、こういう初初しさはいつまでたっても稲葉さんの作品に消えないのはうれしい。どこか悲しく、うす青い翳りのある雰囲気である。

 盲ひたる少年の街を泳ぎ行くわれよりも心満ちし貌なり

 稲葉さんのこんどの歌集の名前は「ガラスの檻」というのだそうであるが、鋭くて不安なものの持つ美しさに人一倍敏感なのであろう。この歌の場合も、こういうかたちで心の餓えを語っている。ひとつの悲劇的なものを捉え、それを歌うだけでは満足しない。それと対比的に自分の内部をあばいてみせる。そこに、稲葉さんの傷つき易く、そして勁い詩的性格があるようだ。

 まことうすき折ふしを織りふり返るわが歳月
 はうつくしからず

 まぼろしの鞭光る風めぐるときそむかれし母
 のまみ濡れをらむ

 胎壁を蹴り駈けやまぬ裸足ありわが内部なる
 森の条に

 君のみに似る子を生まむ見知らざる人あふれ
 住む街の片すみ

 これらの歌は、昭和三十五年、第六回角川短歌賞を受賞した「小さき宴」から抄出したものだが、よかれ悪しかれ稲葉さんの特色が出ている。「うつくしからず」は初期の擦雨の歌の「汚れざる部分」と同じようなやわらかい自己否定である。「そむかれし母」は肉親へのやり場のない感情の集積として歌われる。稲葉さんの抒情は、現実の不条理なものへの認識から出発する。そして、歎きは、そのまま歌だ、胎児を歌ったものは稲葉さんのロマンである。或はロマンを書ける才能の片鱗を覗かせているようだ。「君のみに似る子を生まむ」という願いも、自己否定につながる、この思いをつきつめてゆけば真暗な闇の世界しかない。稲葉さんの歌は暗夜に炸烈する。闇が濃ければ濃いほど、絶望が深ければ深いほど歌は鮮やかで美しくなる。そのことを誰よりもよく知っているのもやはり、稲葉さん自身である。
 稲葉さんの歌は、現代詩の領域に深入りし過ぎたような若い世代の歌の中においてみると、その美質が一層はっきりする。最も信頼のおける新進歌人の一人ではないかと思っている。質素を極めたこの歌集が、内部に豊かな詩の花をぎっしりと咲かせているのだ。
(「序/大野誠夫」より)

 

 昭和三十二年、歌を初めて作り出した頃から今日に至るまでの作品の中から、三百二十首を自選しほぱ制作順に並べました。
 幼ない作品ばかりで、もっと勇敢に切り捨てるべきだったかも知れませんが、どれもその折々の歌わずにはいられなかった、私のいのちを呼び返す失い難い記念品に他ならず、そうする事が出来ませんでした。
 題意は、私の持つありふれた生活の底に、常に訴えがたくそれはちようど透明なガラスの様に、私一人を閉じ籠めて止まない「隔絶」に対する、心象を託そうとした部分から選び「ガラスの檻」としました。
 「小さき宴」の作品を発表しました後、出産後間もなかった私は、次々に思い掛けない病気に罹り、嬰児をかかえ日常生活に於いても殆んど足を掬われんばかりの状態を続け、作歌を続けるのが苦痛に思われた時期がありました。然し大野誠夫先生を初め先輩歌友の方達の、あつい励ましのお陰で、今日まで作歌を続けて参る事が出来ました。
 この歌集の作品も、方法への自覚より前に溢れ出てしまったかたちでそのような理由から本当の意味での短歌への決意は、今私の内部になりつつあると言え、その為にも一度振り返って足跡を確めたく、歌集をまとめる事に致しました。この歌集を出すにあたり、序文を戴いた大野先生を初め、遠く常に励ましを戴いた中部短歌会の春日井・江口、両先生にも厚く御礼を述べたいと思います。
(「後記」より 

 


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