1955年3月、昭森社から刊行された飯村亀次の詩集。
この詩集に序文をかくことは、私にとって一つのかえがたいよろこびである。私はかねて飯村君に詩集を出すことをすすめてきた。詩人にとって、詩集こそ唯一の生命であり、また、ときどき詩集をまとめて自己の足跡をふりかえるのでなければ、決して前進のないことを、自分の経験で痛感して来たからである。飯村君は、こういう私の言葉に耳をかして、ここに処女詩集『制服』をまとめた。
この一巻は、現に職場で働く勤労者詩人の詩集としては、最高の技術段階を示す一つではないかと私は考える。その内容は必らずしも革命的な美辞麗句をならべたものでもなければ、所謂労働者らしい威勢のいい闘争場面をうたったものでもない。むしろ、かれは終始おっとりした労働者の日常生活をながめ、そこから社会や現実の矛盾をひき出し訴えようとしている。またその作品の行句には多少の未熟と散文化のあとも見られる。しかし、かれがその勤務する国鉄の職場から、靴みがきのふえてゆく駅前の広場や、安いコロッケの揚るのを待っているおかみさんたちの姿を眺めたり、また、雨の夜、高熱で苦しんでいる稚児をのこして仕事に出勤するものの苦汁を訴えるかとおもうと、職場のダラ幹が口先きばかり威勢のいい演說をぶっている姿をにくんだり、或は一人の若い労働者の門出を祝う仲間たちの怪しい歌声、笑声に、自分でも心をおどらせながら、「炎天のしたで」の一篇では、駅のホームの改築工事場から墜死したSさんを哀しんで、その死骸の運ばれて行ったあと、おれたちは
その落ちたホームの一角を水洗いする
その上を
人人がとおる
一人の労働者が
息をひきとった その上を
人人がとおるとうたうのを聞くとき、私は不意に胸を衝かれるのを禁じ得ないのである。こういう観察は全く飯村独自のものであり、また、それはじっさいに職場を愛し、働く労働者詩人でなければうたえない主題だ。
飯村君と私との交わりは、もう六、七年になるだろうか。終戦後ある偶然の機会から国鉄の詩サークルでかれを知り、その後ずっとつきあっている。かれは無口で、あまり喋らない。いつもお喋りするのは私ばかりである。しかもかれはそんな私に飽きもせず、特にここ三年来私の病臥中にも、暇をみつけては激励のために足を運んでくれるのであった。私はかれの厚い友情に感謝している。かれのそういう人間味は、自らその詩風を形成するものである。私はかれを勤労者詩人の第一級の一人に推賞する。恐らく、この詩集をよんだ人は、私がそういっても該め過ぎでないことを認めるであろう。
(「序文/遠地輝武」より)
私の生活の大半は、国鉄の「制服」とともにある。「制服」の世界をのぞいて私の現在の生活は考えられない。私の詩も、そのような「制服」の世界の生活を反映して、大半の作品が、職場のいろいろなできごとやそのなかでのさまざまな人間の動きなどをうたったものが大部分をしめている。
いままでもそうだったように、これからも私は「制服」の世界をえがいていこうと思っているし、あるいはまた古いものやみにくいるのを、一人の労働者として、詩をつうじて、つきつめていきたいと思っている。
終りに、出版について、いろいろ御面倒を願っただけでなく、序文まで書いて下さった遠地雄武氏、跋文を書いて下さった岡亮太郎氏、それから、いままでいろいろ御教示をあおいできた伊藤信吉氏、近藤東氏その他多くの先輩諸氏に、この機会にあっく御礼を申上げたい。
(「あとがき」より)
目次
序 〈遠地輝武〉
- 靴みがき
- 人人は待つていた
- 女と子供と母親と
- 親子
- 牛
- 少女
- 眼
- 雨の夜
- 布団
- 村の夜道をかえりながら
- あいつがしやべつている
- 彼
- Kさん
- さざなみのように
- 貨車押し (一)
- 貨車押し (二)
- あいつ
- あの人
- 金さん
- 炎天のしたで
- 制服 (一)
- 制服 (二)
- スイミン時間について
- あめ
- 毒を受けた人
- その死のニュースと録音を
跋 岡亮太郎
あとがき