1969年3月、潮流出版社から刊行された内田麟太郎(1941~)の第1詩集。カバー、デザイン、レイアウトは村田正夫。著者は大牟田市生れ、刊行時の住所は中野区大和町。
これは私の処女詩集です。もちろん満足なものではありません。いや我慢がならぬものといった方が正しいでしよう。それでも出すことにしたのは、亡き遠地輝武の声を聞くからです。遠地さんが亡くなってから私の作風は変りました。それがなぜだか正確には語れません。私にはどうしても消せぬ遠地さんがいます。すでに脳軟化症になっていた遠地さんは、しょんぼりとしたチンポを隠すことをしませんでした。私はそれを何度も見ました。それだけのことです。なんでもないといえば、なんでもないことです。しかし私が人の死を見つづけなければならなかったのは、現実には遠地さんが初めてでした。私にはこのしょんぼりとしたチンポをまだどう語っていいかわかりません。たしかなことは遠地さんの死を期に、私はどうしても人間の死と云う観念から逃げることが出来なくなりました。それは直接的な肉体の死ばかりではありません。生きながらの死と呼んだらいいのでしょうか。私はこの<生きながらの死>を見つづける時、私の彼方が決っして明るくないことを知らされるのです。だが、私は<生きながらの死>を見つづけていこうと思います。現在の私にとって、詩を書くと云う行為はこの<生きながらの死>を見つづけることでしかありません。それでありながら、私の作品の弱いことは、私がその時々に見つづける行為から逃げたことを語っています。と云うのも、その<見つづける>と云う行為が他人の死のみを<見つづける>ことでなく、自分の死をも<見つづける>ことだったからです。それにしても、なんと残酷な時代でしょう。昨日・美しい夢を語った若者は、まった<今日的>な青年に成長し、私を暗くします。小賢しいことが男の証であるかのような時代に、私は小百合ちゃんと屁をひりたくなるのです。もしかするとこの詩集は、その屁のひとつひとつかもしれません。
おわりに、装幀および解説を書いて下さった村田正夫氏、新日本詩人、潮流派、三池文学の同人の方々、父内田博に感謝します。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ これでいいへら
- まあまあ
- これで いいへら
- 肩書
- 男
- お子様
- 峠のお宿
- 救済事業
- 理由
Ⅱ 人生航路
- もしかしたら
- ぱー
- 数学
- 人生航路
- 銀心中
- 糞
- ようするに
- 行方不明
- 安楽死
- ちょこちょこ
- お墓用
- 生きる歓び
- 河童
Ⅲ 決起
- 朝の光
- 戦の後
- 天使
- あれ――
- 一代種
- 科学
- 決起
- 自分
- 調和
Ⅳ 三池港
- 三池港
- 陸五郎
- ハゼ
- 三池埠頭
- 新地海岸
- 河口
- 薄暮
- 冬
解説・Ⅰ 村田正夫
解説・Ⅱ 内田博
あとがき