プロレタリア詩の達成と崩壊 西杉夫

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 1977年3月、海燕書房から刊行された西杉夫(1932~)の評論集。著者は東京生まれ。「コスモス」同人。

 

 これまでにわたしが書いてきた評論のうち、プロレタリア詩関係のものだけをまとめてみた。プロレタリア詩について体系的な研究を、最初から志したのではない。そのときどきの関心に応じて、プロレタリア詩の各側面を攻めてみたのだが、その積み重ねの結果として、どうやらその全体像が浮かびあがってきたように思われる。むろんまだ忘れなければならない詩人と問題はあるが、このあたりで一応の区切りをつけてみようというわけだ。
 全部読みなおしてみて、一応ひとつの流れになっていることが認められるので、あまり手は入れなかった。多少の重複があるが、これも気にならない程度と判断した。
 プロレタリア詩はその性格上からも、いま資料を入手することが容易ではない。わたしの場合は、いまは亡き遠地輝武さんからいろいろな雑誌や詩集を借りることができた。もともとわたしがプロレタリア詩に興味をもっていることを知って、調べるように積極的にすすめたのも遠地さんである。プロレタリア詩への評価では、その遠地さんと距離が生まれたが、そんなことを気にするような人ではなかった。またこの本をまとめるにあたっては、出版の企画のことも含めて、秋山清さんのお世話になった。
(「あとがき」より)

 
目次

Ⅰその出発

  • どん底で歌ふ』とその先駆性
  • 欲望派の詩人たち
  • 詩における自然生長
  • 中野重治の場合

Ⅱその課題

  • プロレタリア詩の細叙主義
  • プロレタリア詩と政治主義
  • 所有の転換について
  • 中野鈴子の詩と政治
  • ある非転向

Ⅲその到達

  • 田木繁論
  • 鈴木泰治論
  • 新井徹論
  • 小熊秀雄
  • 船方一論
  • 現実と詩的現実の関係

付章 プロレタリア詩へのわたしの視角
プロレタリア詩年表

あとがき


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