1976年5月、私家版として刊行された倉尾勉(1950~2002)の第3詩集。著者は和歌山県生まれ。刊行時の住所は小金井市。
この詩集を亡き父にささげる。
その生涯を山村の亡びていく農にそって生きた父は、先年、それが救いであるかのように、高所から身を投げるという自殺未遂の外傷、脳障害による二年ちかくの植物人間化ののち逝った。その根にはある精神病的な瘤疾が係わっていたとはいえ、しだい閉ざされていく山村の農民として、村のなかでの絶望的な状況におもいいたったとき、その病状は病むことと死の境を越えて、一気に死のほうへいってしまった。
病者のみが知り得る。病むことの深さはこの地上をひとつの廃園として意識している。わたしは山村での少年時代をへて、いつしか詩をかきはじめていた。詩をかくことは近い未来の希望のために、自分の言葉を求めて山村の底からはいあがっていく過程であった。やがて、言葉の裏付けとなる現実を得てわたしは村を出た。そして、村を忘れようとした。しかし、そのときから、村はわたしの内部に巣喰う癌細胞のごとき個となって増殖しはじめていた。都市の現実のなかに移り住んではじめてそれがおそってきた。
いま、わたしはながくなりすぎた東京での生活のなかにいる。けれど、亡びない。亡びて亡びざるものの裔として、個のはらんだ共生域ともいうべき言葉を人々のなかで実現していく視えざる方途をおもっている。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ わが鎮魂歌
- わが鎮魂歌
- 死闘地
- 盟約
- 後背地
- 病棟にて
- 始発
- 葬送曲
- 草領土
- 海蝕崖
- 焼野にて
Ⅱ 断谷
- 断谷
- 六月
- 声
- 谷間で
- 絶える日
Ⅲ 廃園
- 初夏を埋めた村
- 草分けの家
- 川のほとりで
- 日照る地の刃
- 暮色の岸で
- 廃園
- 苗代端で
- 海港遠望
- 栗の木
- 雑木林で
- 半島巡航記
- 夏の日の影
- 山道で
- 彼岸花
倉尾勉への手紙 米村敏人
あとがき