父の口ぶえ 十才の詩集 草野心平編 岩田有史詩集

 1951年1月、小山書店から刊行された岩田有史の詩集。著者は宮沢賢治の従兄弟。

解説 草野心平

 今年の四月、私は岩手の太田村に高村光太郎氏を訪ねましたが、その途次花巻の宿屋に一泊しました。その晩旧知の関登久也さんが訪ねて下すって、自分の子供の作品だといって岩田有史君の詩を、約百篇ほどみせて下さいました。
 それらはこの一本に収めたやうな、全部短い詩でしたが、私はその新鮮さに驚きました。それらはまるで別世界を流れる風のようにさわやかでした。私たちの年齢のものには考え及ばないような着想と目醒めるような感覚。私の興味は、もっぱらその辺に向ったようでした。その表現の方法は着想というよりは、もっとジカにその表現される対照と触れ合い、むしろ楽しく遊んでいるような天然さがあり、対照を客観して描出するとうよりは、対照と作者との一体化されたものがそのままヒョッコリ紙の上に現われてくる、言わばそんな方法なのであります。詩作の最も源初的な姿を私はそれらの作品をとおして見る思いがしました。

こんな林に
にあわぬラジオ
ニューヨークのまんなかで
おにぎりくうのと同じだ

 この詩にはユーモラスな比喩と小さいながらも批評的なものがあります。けれどもこの作者は比喩的な立場からうたったのではなくて、林の中のラジオとニューヨークのまんなかでおにぎりをくう姿とがはっきりした二つのイメージとして写ってきてその二つを比喩的に対座さしたのであります。

天の雲をぼうしにした
せいの高いポプラの木の下に
いつもいつも
あじさいが一株いる。

 この詩では最后の一行が重心をなしています。あじさいが一株ある、或いは一株のあじさいがある、と言わなかったところに興味があります。この「いる」は一種の擬人法でもありますが、実はそうした「方法」に拠っているのではありません。作者はあじさいを無機とはみずに、極く自然に生きているあじさいを感じとります。私たちも地上にあるあじさいを書かずに、意識的に地上にあじさいを存在させます。深い垂直性を定着させようとします。ところがこの作者は存在しているイメージをそのまま文字に移行させるのです。結果は同じことにもなりますが、映像の形成と既にある映像の、言わば転出というような微妙なちがいがあるように思われます。
 有史君の詩の源初的な姿は少年期の無垢純粋な感覚によって裏打ちされていますが、そうした感覚も年度に色んな微粒物がはいってきてにごってくるのが普通のようです。で、その純粋度を持続させ、或いは發展させるものは矢張り詩人の知慧であって、有史君の作品がどのように今後發展するかは、総て今後のことにかかっています。有史君が大人になっても詩を書きつづけるかどうか、実は誰にも分りません。将来歴史家になるか技術者になるか、貿易者になるか或いは土を耕すか、それもまた私などには猶更わかりません。
 けれどもこれらの作品が、現在見事な詩であるという現実は、この作者が大臣になろうが行商者になろうが、何等変化するものでないことだけは事実です。
 詩は文学を媒体とする芸術の最も純潔な高度性をもち、従ってそれは大変六ヵ敷いものであります。けれどもまた十一才のこのような少年にも書けるという、もっと若く五六才の少年少女にも書けるというやさしさもあります。その点、詩はむずかしくてやさしく、やさしくてむずかしいものであるようです。
 この本に収めた百六十篇の詩は五百篇の中から撰びました。それらの五百篇を有史君は昭和二十四年の十月から二十五年の八月までの約十ヵ月間に書きました。この驚くべき多作は矢張り純粋な天然的姿で微笑まれます。
 猶お有史君のお父さんは本名岩田登久也、歌人としてのペンネームは関登久也、お母さんのなをさんは亡くなりましたが、これは宮沢賢治のお父さんの妹に当る方です。

一九五〇、一二、一一

 

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