1950年11月、龍星閣から刊行された高村光太郎(1883~1956)の詩文集。
先年「智恵子抄」をはじめて世に送ってくれた龍星閣主人澤田伊四郎君が、今度は又「智恵子抄その後」を、むしろ略奪するやうな勢で出版する。
「智恵子抄」は澤田君が戰後休養のため郷里に隱退してゐた頃、他の出版社が澤田君の快諾をうけ、二三の新作を加へて再出版したので、今も世上に行はれてゐるやうであるが、戰後五年を經た今日、澤田君はは郷里から上京して龍星閣再興に志し、昔のゆかりに因むものか、まづ私の「智恵子抄その後に眼をつけた。
「智恵子抄その後」と題する一群の詩は六篇しかなく、しかもその六篇は互に有機的に結びついてみてその間に他の詩篇をさし挑むことも出來ず又その前後に他の詩篇を追加することも出來ない。さいふことをすればてしまふ。六篇では詩集にならないと私がいへば、六篇で詩集になると澤田君はいふ。澤田君は私の手許から山小屋日記に類する。文章その他を物色して、つひに斯ういふ一冊の詩集を構成してしまった。私も澤田君の熱意に動かされて結局この詩六篇を根幹とする詩集といふものの出版に意した。
「智恵子抄」は徹頭徹尾くるしく悲しい詩集であった。「智惠子抄その後」の奥底に何があるか書いてから一年ばかりにしかならないので、まだ自分にょく分らない。恐らくこれを讀む人々が卻てそれを鋭く見ぬいてくれることであらう。
(「あとがき」より)
目次
・智惠子抄その後
- 元素智惠子・昭和二五・一
- メトロポオル・昭和二五・一
- 裸形・昭和二五・一
- 案內・昭和二五・一
- あの頃・昭和二五・一
- 吹雪の夜の獨白・昭和二五・一
・太田村山口にて
- 年越し・昭和二一・一〇・二九
- 雪解けず・昭和二一・二・二五
- 開墾・昭和二三・三・二一
- 早春の山の花・昭和二三・三・二五
- 田植急調子・昭和二二・四・二九
- もしも智惠子が・昭和二四・三・一〇
- 季節のきびしさ・昭和二三・六・一五
- 七月一日・昭和二一・七・一
- 山の少女・昭和二四・一
- 噴霧的な夢・昭和二三・九・二一
- ある夫人への返事・昭和二二・一・三〇夜
- 信親と鳴瀧・昭和二五・八・二〇
- 智惠子の遺作展・昭和二五・五・二五
- 村にて・昭和二四・五・一六
- 再び村にて・昭和二五・六・二
- 女醫になつた少女・昭和二四・五・八
- 夏の食事・昭和二五・八・二三
- 九月三十日・昭和二五・九・三〇
目次並作品年表
あとがき 昭和二五・一〇