1983年10月、芸風書院から刊行された河井博信(1925~)の詩集。刊行時の著者の住所は八王子市横川町。
二年ほど前同名の詩集を自費出版したことがあります。その時には、今度はこの続きを出そう、そう思っていたのですが、いざ出してしまうと、同じ子でありながら、大した理由もなく間引いた作品が、急に不憫になってきまして、いっそ振り出しに戻し、それらを含めた第一詩集をもう一度作り直そうと、そう思うようになったのです。この"UFOが見られまいかな"が、それであります。
題名に用いた"UFOが見られまいかな"という詩は、もうないことと諦めていた心を私に蘇らせてくれた、真に記念すべき詩であります。忘れもしません、昭和五十四年の正月三日のことでした。例年この日は亡母のいる中野の家で、新年のお祝いをすることになっていまして、私も家族と一緒に、これも例年のことになっています亡父の墓参りを、多摩墓地に済ませ、中央線荻窪の辺りを通過する時でした。ふと見る車窓の中天やや西に、凍ててへばりついたような煉瓦色の夕映えを見たのであります。よくこんな時には短歌に詠んでしまうのですが、どうもこの時はうまくいきませんでした。ところがそれから二、三日後の確か六日の土曜日でしたが、姉に誘われてNHKの古典芸能鑑賞会にまいったのであります。その折会場のNHKホールに早く着き過ぎまして、止むなく代々木公園までぶらっとまいったのでありますが、思いがけなくそこの歩道橋で落日の情景に接し、すっかり魅せられてしまったのであります。"UFO"の詩の中にある三六〇度の空間とか洋凧の光景は、いずれもその時のものであります。ところがその夕暮の情景と前述の煉瓦色の夕映えがいつか結びつき、更には、当時なんとなく思っていた自分にも"UFO”が見られないかな、という思いが合わさって、ひょっこり、四半世紀振りの詩となったのであります。
以来、この奇跡的に点り直してくれた詩心を、今度は消すまい絶やすまいと心掛けて、今日に及んだのでありますが、今回のこの第一詩集の題名も、やはりこの"UFO"の詩を描いては考えられませず、また表紙にも前回同様、あの凍てついた夕映えが記念したく、煉瓦色を用いることにしてしまいました。
いずれにしても詩集を創るなどということは、思いもしなかったことだけに、望外の喜びでありまして、残念ながら本物の"UFO"はまだ見ておりませんが、その意味ではもう立派に"UFO"を見たことになるのだと、そう思っています。と同時に私もそういう年頃になったのでありましょう。だんだん自分の"UFO”が飛ばしてみたくなりまして、この三月、永年勤めてきた教職を退いたのを機会に、気分も新たに第一詩集からの飛ばし直しを実行して、それを皮切りにこれからは、自分の"UFO"がいくつ飛ばせるか、それを楽しみにしてまいろうと、そう思うようになったのであります。とんだ極楽とんぼですが、今はそれが自分の人生のように思われてなりません。現代の、数少ない幸福者の一人なのでありましょう。
(「はしがき」より)
目次
- 朽ち果てよ
- 焦燥
- 低迷
- 若者よ
- 正丸峠
- コバルト
- 神輿
- 去りゆくもの
- 倦怠
- 生きるのは自分じゃないか
- クリーム色の部屋
- 笑い
- こんな一日なら
- インキのひと雫
- 未完
- 豪語
- 車中の二人の会話
- 俺は文章の一行目
- 幸福
- みんな思い出になってしまう
- UFOが見られまいかな
- やんま
- オリオンの詩
- 冬の雀
- ある落日
- 木枯しの夜の回想
- こぶしの花
- 翳りなき四月の春の謳
- 夜の静寂に祈る
- 母の日
- 休日の朝
- 作品四〇
- 散歩道
- スカイラブが落ちてくる
- あわれ
- 揺ら揺られて
- 海はつまらなかった
- ざりがに お前もか