1971年7月、葡萄社から刊行された吉野弘(1926~2014)の第4詩集。装幀は平野甲賀。著者は酒田市生まれ。
詩集や詩誌を「あとがき」から読むという人が、意外に多いようだ。私なども、その一人なので、本来ならば、そういう読者の期待におこたえしなければならないのだが、この「あとがき」を何度か書いてみた結果、とどのつまりは、なんとかリクッをつけて、詩集を意義づけてみせるというハシタナサのほうに傾いてゆくので、やめてしまった。作品が語っていることを、それ以上に、またそれ以外にひきのばして「あとがき」を書いても、いわば空疎な言葉にすぎぬと思うのだ。
「あとがき」のない詩集は、さっぱりしていて良いけれど、いささか不愛想であることを免れないーなどと考えて、こんな文章を書き出したくせに、これでは、「あとがき」のない詩集より、もっと不愛想なことになる。どうも、恰好がつかないけれど、この拙い詩集を、知己及び未知の友への「挨拶」と考えている私の気持だけは、お受けねがえないものだろうか。
この詩集は、葡萄社主・関根久男氏のご好意で、上梓されることになった。葡萄社の出版の第一号として、私の『感傷旅行』が上梓されることになるわけで、私としては責任重大といった気分だ。
編集にあたっては詩友・長田弘氏にお力添えをいただいたこと、平野甲賀氏に装幀をお引受けいただいたこと、記してそれぞれの方に謝意を表したい。
この詩集についての覚えがき一つ二つ。これは、詩画集『0ワットの太陽』(一九六四年十二月十五日刊)に次ぐ第四詩集で、ほぼ六四年以降の作品から選んでまとめた。
未発表の二篇を含む五十五篇の詩が、この詩集に収められているが、既発表五十三篇のうち、二十一篇は、詩の専門雑誌や同グループ・異グループの同人詩誌に発表したもの。
三十二篇は、詩とは特に関係のない雑誌や新聞に発表したり、合唱曲用に書いたりしたもの。
となっていて、その比は四対六の割合。この割合は私が決めたものではないが、私の詩と周囲とのかかわりかたをそれとなく語っているかも知れない。
未発表の二篇とは、「伝道」及び「新しい旅立ちの日」であるが、既発表のものを、この詩集に収めるに当って全面的に改めたものも二篇ある。「第二の絆」と、「三月」が、それだ。「第二の絆」は<櫂>に「無題」として発表したものを改め、また「三月」は、同じ題名で<櫂>に発表したものを改めた。既発表のものを部分的に改めたものとしては、「黒い鞄」と「つきあい」の二篇があるが、さしたる改作ではない。
私の生年、出生地、略歴及びこれまでの詩集は次の通り。
一九二六年一月十六日 山形県酒田市に出生。
一九四二年十二月 酒田市立商業学校卒業。(一九四三年三月卒業のところ、戦時下のため繰上げ卒業となったもの)
一九四三年一月 酒田市の石油会社に入社。
一九四四年?月徴兵検査を受け合格。目下のところ日本では最後の徴兵検査。
一九四五年八月 十五日敗戦を迎え衝撃を受けた。二十日山形三十二連隊に入営することになっていたが、ゆかずじまい。
一九四九年九月 労働組合運動の過労がたたり発病、以後、胸郭成形手術を受け、右の肋骨を六本切除され快癒。通算三年ほど療養生活。
一九五三年 詩誌<櫂>に参加。
一九五七年詩集 『消息』をガリ版刷りで上梓する。初版百部を五月に、再版百五十部を八月に出した。
一九五九年 詩集『幻・方法』を飯塚書店から上梓。双書現代詩集の第五巻として。
一九六二年 四三年一月以来、十九年半ほど勤めた石油会社(当時、東京本社勤務)を、八月に退職。六三年一月に二十年勤続表彰を受ける破目になるのを、なんとか逃げようとして、かなり無鉄砲に退職したもの。友人と小会社をつくり、コマーシャルのコピーライターに転じた。
一九六四年 詩画集『10ワットの太陽』(絵は島崎樹夫、デザインは小谷靖)を、十二月に思潮社から上梓。
一九六八年 『吉野弘詩集』を、八月、思潮社から上梓。現代詩文庫の第12巻として。
(「あとがき」より)
目次
1
・第二の絆
- 第二の絆
- 新種硝子
- 修辞的铸掛屋
- 伝道一
- たまねぎ
- 顏
・香水 グッド・ラック
- 香水 グッド・ラック
- エド&ユキコ
- あゝ個人
- 黒い鞄
- 鮃と鰈
- つきあい
・地下帝国のバラード
- 地下帝国のバラード
- 通勤
- 四月
- 吹けば飛ぶような
- 城
- 実業
・眼・空・恋
- 眼・空・恋
- 妻に
- 或る朝の
2
・春
- 三月
- 早春のバスの中で
- みずすまし
- みずすまし
- 沈丁華
- 遊び
- 一年生
- 一番高いところから
- 真昼の星 -
・夏
- 海
- 鎮魂歌
- 湖
- 湖は
- 避雷針
- 日本の六月
- 釣り
- 六月
- 物理の夏
- 熟れる一日
・秋
・冬
- 初冬懐卵
- 今昔感傷
- 雪の日に
- 飛翔
- 雪のように
- 室内
- 二月三十日の詩
・死季
- 新しい旅立ちの日
あとがき