三雄詩集 則武三雄詩集

 1984年6月、北荘文庫から刊行された則武三雄(1909~1990)の自選詩集。和紙は岩野平三郎。

 

 片々たる詩集をかき、それぐらいの生涯。
 五十年、後の読者に期待したりしたが、稿料を考えたりしない製品。それに救われただろうか。
 一巻の本のあとに解説を載する。それも詩でないだろうか。
 思い出によりかかった詩集。解題も亦、詩篇
 これを書こうとして桑原武夫氏より「滄海月明珠有涙」の李商隠の詩書をいただく。それを志して成らなかった私の一千行であろうか。
 「国境」第一号
 昭和何年の発行であっただろうか、知らない。林聖茂、秦明樊、三雄の三人の編集で、一号だけ刊行。
 「国境警備」 朝鮮の平安北道警察部と言う威めしい所の発行。昭和十一年であっただろう。次の「国境警備記念集」が昭和十二年の発行で二六五ページ。次の勤務部署へ発つとき、私はすべてを捨てた。が、昭和五十五年になってから友人からそのプリントの寄贈を受けた。それらは京城府蓬萊町三丁目の朝鮮印刷の印刷。
 「鴨緑江」 昭和十七年五月二十三日の刊行。三雄は京城府孔徳町三〇一に移る。一五〇ページ。三好達治氏の序文を得た。序文を書かない人なので凡らく私のが第一。
 本文は薄い和紙、表装も緑の和がみ。堀辰雄氏の「聖家族」の女主人公である松村みね子さん(アイルランド文学の名訳者)の手紙をいただいた記憶。
 第二に出した「鴨緑江」昭和十八年十一月二十日附発行で、東京第一出版協会から三一三ページ、価格二円二拾八銭、四〇〇〇冊刷り、伊東静雄氏からもらった序歌を附した。
 第一、第二とも四六判。歌一首は「わかくさのわかき心がみたりける ゆめなつかしやきみがありなれ」である。
「ありなれ」鴨緑江の別称。
「風詠集」
 昭和二十年五月五日附。京城人文社の発行。毎日申報で印刷。五〇〇冊、三〇〇円。
 金煥基の装本、李仲爕の絵二枚。朝鮮のコウゾの紙全盤一枚を折って四折、拾六ページ。故宮ほか二拾一ページ。
 しかし挿絵が裸体画であったとして差押え、東大門署で押えて焼却。検閲したのは本府高等警察課の某で東大卒の事務官、私の務めている総督府総務局の私の個室の隣室ではなかったか。
 個人的な奴だったかと、昭和五十五年十二月に至って思う。帰国して逢ったら殺してやってもと思っていた。終戦。竜山第二十三部隊の二等兵など経験。
 昭和二十年の十二月、日本に帰る。
 「浪漫中隊」 昭和二十六年六月一日附。福井市の宝永中町一の県立図書館に居たとき発行。四〇円、送料六円。A5判。一〇〇〇冊。はじめて森田正治のカット三葉を得、以来、森田氏の挿画で詩集は成る。内容は中隊詩集三十一編、日本の中隊について、旅次十五編、その他を附した。
 中隊詩集は朝鮮の「国民文学」に一挙に発表した。林三郎と言う中尉の許可を受けて部隊より持出し。生涯の恩人であったか知れない。詩人として認められ、部隊で被っていた襯衣を野原の小さい流れで洗濯して、附着していた虱を殺さなかった。みどりの草になすり附けて帰ったことからひとが評価。「風詠集」詩集の鉛板の紙型が毎日申報社にあった。自分は何度か取りに行ったが、黒人兵がいて危険らしいので断念。
 忘れていた。前記の「国境警備」に対し、中野重治が小説「司書の死」を書く。「一九三五一六年のころ、朝鮮の境の日本警察屯所から立派な報告書が郵便でとどいたことがあった。役所の朱の判が捺してある。ながい時があって、第二次大戦がすんで、ある日おれが中学生のときの図書館へ行った。そしてそこで、あれを送ってくれた当人がそこにつとめているのを知って思うところが深かった」とある。
 対象はわたし。
 「二枚の翅」「赤い白鳥」「レムブラント光線」
 片々たる詩集である。そんな題名が使って見たかったのだろう。昭和二十三年、大分師範学校の安部一郎装本、赤い白鳥は三国町、加藤方美の刊行。「どうしる、そうしるなどと発音するこの地方の娘たちに」と言う献辞がある。
 「レムブラント」は「土星」の杉本直の世話になったが、この三冊共、手許にない。越前の穴馬紙、帳がみなど入手したので日本の紙を使用。昭和二十年、同二十三年、同二十四年の刊行で懐かしいが、薄いもの。
 従来、穴馬がみと言われていたものが本県の上流地方で生産し、農家の主婦が冬期、小さい漉き器で漉き上げ、僧侶に対する御布施などとしてその紙で代替した。便所の紙などに乾し草を用いていた。
 なぜか「朝鮮詩集」と言うのを一九六一年十一月刊行、三〇〇円、一三〇冊、
 これは康熙三十六年刊の「資治通鑑」の残欠本の紙を裏返しにして印刷、併し本県今立郡の岩野平三郎氏の当時の平三郎伝よりの紙宮城野、東風紙、すみれ紙の美しいものを随所に使用、袋綴じ、二十四帖。
 その以前「偽詩人」二六ページがある。
 それも袋とじ、薄い越前和紙、凡らく今立町石川甚治郎製のもの。本文が横組みの詩集で、一九五四―の八月刊行で、県立図内の北荘文庫発行。頌価三〇〇円、送料一六円。これは武生市の有名なみなかみ屋の製本。
 但し意の如くゆかなかった。縦長の本、和装、局紙装、糸綴じの本。
 和本で、しかも左側から糸とじの一冊でした。薄い和紙は「鳥の子」の一種でやや薄い茶色を含んでいた。
 表紙その他は岩野家の恩恵を受け、岡本五箇、今の今立町大滝ではまだ藁屋根が多く、川のながれもコウゾの屑だけで美しかった。
 私の小型本「加美鑑」ではそれを桃花村、桃源と表現しているが、その小型本の発行年など忘れた。手許にもなし。前叙の「偽詩人」には「僕の(一九〇九年生)の草した小さな論文」のサブタイトルがある。
 朝鮮の詩人の「白石」の序詩、本文九十九篇、跋を附し、一冊は中国の書帖に似ている。三〇cm✕一三・五cm。
 本県で私が「美しい本」を発行しようと手本にしたのは、寿岳文章が一九四七年にサンワード・プレスで「エマスン書誌」を発行して本文に楮紙使用、玻璃版の肖像画藍染めの表紙を使用。
 美しい限りの一冊で、昭和二十二年出され、上島新七の装本。それを見て私の「三国と三好達治」も美しい限りにし、岩野家の特別の型染め表紙、鳥の子の稍〃色つき紙、本文も奉書紙と白鳥の子を選び、一九六五年九月、北四ツ居町の北荘文庫で刊行してまだ三好氏も生存中であった。限定版六〇〇冊、チリ入りの紙の袋入り。価六〇〇円。
 この中にあるわたしの詩「波に記す」は他詩集に出していない。
 次に一九五七年版「オルフェ」も記念の詩集。この中の一冊にシルクロードを返って来た絵絹を使用した。特製。どこへ行ったか。
「紙の本」と言うのは本文に鳥の子と木炭紙使用。
 紙に関する六章、三雄詩抄二十一編、紙の記と跋と。
 一九六四年六月、A5判。限定二七〇冊。この詩集は林房雄氏の「文芸時評」(朝日新聞)に取上げられた。
 また「オルフェ」は一九五七年十二月に出て、中村稔氏の日常のさいはての領域中に再録。
 他にわたしの本に「えちぜんわかさ文学館」(松見文庫発行)がある。昭四十六年一月、三八〇ページ、二〇〇〇冊、八〇〇円。この本は一九六二年刊の「越前若狭文学選」更に一九六六年再版二〇〇〇冊のものを底本としている。北荘文庫の刊行で、更に「ふくい文学の旅」(朝日新聞福井支局編)三四七ページ、昭和四十二年、北莊文庫発行の名称のもので目次及び資料などに三雄が参加。四五〇円。
 桑原武夫氏の序をたて――。
 「持続」は詩集の合集であって、一九七〇年十二月、装画は朝鮮の李仲爕。友人の酒井宏による装本、フランス綴、岩野製紙所の大判の赤い局紙に包まれた。本文はアートペーパー。四〇〇冊で一〇〇〇円。北荘文庫。
 「私本松平忠直」一九七六年刊、フェニックス双書の一冊。
 文献的文献で、三好達治氏と同居していた際の構想。昭和五十一年十二月刊行。
 その前に一九七三年刊「幻しの紙」(まぼろしのかみ)がある。
 これより美しい本は殆どないだろう。二代目岩野平三郎の援助によって、黒い局紙(柿しぶを操作)、本文鳥の子、局紙特号。キララ漉き、紺紙、見本同様にあらゆる上質紙が加えられている。
 標本紙十二枚を貼り、題箋紙は故紙そのままの仕上げ、めずらしい紙を加えた。附録として「越前五箇の御留紙製造記録」自分の本ですが、比較的安価でこれ以上の美本は数少ない。
 好評を受けて次に「紙漉く人」の函入も昔の道中日記大の糸とじ本、一三四ページ、一九七六年五月、装本酒井宏、五〇〇冊。本文鳥の子。北陸三県の紙見本添附。七五〇〇円。
 詩集「葱」 一九七八年五月、荒川洋治氏の好意によって紫陽社の五周年記念出版として刊行。二六〇〇円。一一七ページ。編集荒川洋治、吉田慈朗氏による。黒レザー装。
 「詩画集」 一九七八年、比較的あたらしい内容、北荘文庫、森田正治氏の装画、本文厚手の鳥の子。武生市国府印刷の好意で二〇〇冊。英国製の藍クロース装。
 以上、慌しい内容目録に終始、そして小説「私の鴨緑江」一九八〇年に至る。気争社刊行、二〇〇〇円。
 これも荒川洋治氏編集に成り既往の同名の紀行の小説化。
 「短歌現代」の批評にはどうも文壇の小説ではない。男のかなしみが出ていたと紹介。京城府で田中英光と交わっていた三雄はある意味で青春小説を目差した。

 詩誌の方では一九四五年、三十三人の同人詩誌。なかのしげはる「かすかな挨拶」を冒頭にして刊行。その一九五九年版は山川登美子(故)の「恋衣」一三一首を再録。七〇円。同じく一九六〇年版。一九五五年には文学誌「地方主義」小野忠弘装。同じく一九五六年では「山繭」第一号、十三人の作品。
 詩誌「樹」は一九五七年二月、第一号より一九五八年一月、第六号まで隔月刊行、B5判。三浦アンナ氏の表紙画など。
 「文学兄弟」一九五何年、第一号より第三号まで。「セラピオン兄弟」の連想からの詩誌名。

 以上いろいろやりましたが、集めましたが約半数です。詩としたものと、詩だとしなかったもの。
 ページの少ない方が組版の金が少ない。
 そしてあまり数がない方が本人もやさしい。
 詩になっているものと、判定がむずかしいものです。
 おはる狐を出してから、同じ道を何回かゆき、又道にまよったりした。友人のくるまに乗せてもらっていても。おはる狐はまだ生きているのか。
 私の詩をただしてもいるのだろう。人生は短かし。
 獣がひとを正すこともなしとは言えない。
 「三雄詩集」と言うがやはりあたらしい詩集を出す程の努力をした。テレビに出ているユリゲラーに頼んで旧い手紙を捜し出したり、詩集の費用はあるひとが出して下さったり、さいごのオム マニ パドメ フムの集は詩であるかどうですか。 
 どうですか。
 やはり遊戯ですか。ですか。
(「誌の周囲」より)

 

目次

浪漫中隊(三十一篇)
日本の中隊について
旅次
故宮
飛天図
時計の城
ドツベルク
私の妻

結婚後
賜物
ヴィナス
花魁
詩に病気
バーカンカーネティ
昆虫記
オルフェ
朝の出発
ドゥバア海峡
偽詩人コルトオ
溶ける魚
眠り
夕食時
魔女
筬言
紅疫
影の弥撒
第一等の作品
歴史
修学旅行
無題
無題
城址
城址
偽詩人

蝉と笛吹
新年
萩原朔太郎
偽証
君は
寄寓
夜の光
薄明
所志
ポエジー

御指
熱帯魚
堕天使
児玉金吾に
勝山
色紙に
草枯


秋空
誰が
終り
履暦
日まわり
青空
股のぞき
私の靴
批評
満鉄沿線
装甲列車·
鴨綠江
討伐飛行
大同の野
新羅の天女
浮石寺

都留春雄
歎き
三国
殿下村
無題
無題
紅い瞼
病穂
乳色の雲
ノート
病床
旧歌
私の愛は
帰国
片恋
かわ波
ノート
ノート
無明と愛染


詩人のナプキン
葡萄酒..
一日
足羽川
千鳥の城
源氏絵卷
新聞記事
倖せ

城址
小詩人

思慕詩篇
亡憂里
月光
睡りと死
無題
鴨綠江
黒いコップ

黒い東京
童話
伊東静雄·
中隊 
四月:
或夜
忘却
解析幾何
短章
水爆
近代の寓話
三人姉妹

天異
鳶色の詩
夕鶴1、2、3、4、5、6、7
城1、2、3、4、5、6、7、8
鷹1、2、3、4
五行詩
王陵
持続
或る時心にひるがえる
祈念1、2、3

山川登美子に
詩碑
師弟抒情1、2、3、4、5、6
白鳥
挽歌
自伝
幻の工場1、2
日本
庄川

詩人
記号たちよ
魔法
呪法
詩篇
立石岬
金時計
大野城
朝倉城址1、2、3
習作1、2、3
夕口ツィエル・ソナタ
思い出
三月の城
七夕
しらなみ
四月
風葬1、2、3
多島海
訪問者
我あり
小鳥
渴蜂(カルボウ)
故井戸
東方の国
夏日抄
私は生きた
たたかいのとしの三とせに
跋一
跋二
跋三
跋四
二詩人の間
内宮にて1、2、3
軽鴨
金沢市
ワカサカレイ
城址

駅で
鹿苑幻想
敦賀城址
無題
三国の原
三国
帰国者
アナベルリィ、私の
透明な天使
兵士の奇禍
「朝鮮詩集」の序に
鴨緑江
漢江
葛項三層石塔
白雲台
海雲台
市中の河
機関車
小詩集、朝
ピアノ1、2
月光
草はら
無題
謎々1
謎々2
謎々3
回想
試験飛行
運命の岸
三国仏
鴨緑江
箕佐島にて
秋の歌
ふるさと
帰郷
城址のある町:
朝鮮皿
額縁
眠りと死
断章
三国
赤い海鳥
十字架


無題
冬すみれ
ノート

白日夢
生涯
ふきあげ
光化門
吐含山上
十風十雨
旅程
黒い衣
赤い髪
風詠
故郷

第二の故郷
李泳駿
ひとりの子供が歩いている
漉く
砕かれたしたたり
紙漉き平三郎
宝玉
すみよしものがたり

峰の巣
時間
紙紐
蘇芳
ある生涯
鷲の爪
或るグラフ表紙写真に
敦賀城址
幻想
直弧文
秘諭
寓話
九拾一歳での死
少々長い詩
遁げた本
祝祭
ガーネット氏
おはる狐
逝去
逝去
水の巧さ
船出
賓客
おはる狐

小旅行
端書
金素英
嬰児
小さい和紙本
白い花

幸福
戦後
一家
私の幻想
波に記す
苧麻
ナカムシコッポリゴンボのハ
頌歌
天に舞う奉書
書附け
大東中学校校歌
深田さん、細見さん
竹中郁

レクイエム
甲と乙
テレビコマーシャル
感傷  田中英光
お菓子の宝石
なれるなれるともさ
詩碑
兎の反抗

はたおり
故い歌故いバイオリン
消失
オベリスク
鴨緑江
心を移す
海驢
さまざまの死或るひとりの死を誉めてくれる仮死の秋
偶像
寓言
絵はがき

岩魚の歌
桃源境
乏しい幸福の日々
5ペンスになる詩とならない詩
死後

詩の周囲

 

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