1985年2月、花神社から刊行された秋山喜久江の第1詩集。装画は新井豊美。
詩稿を見せていただくときに、秋山喜久江さんと初対面した。
「何をなさっているのですか」
訊ねてみた。一度もらったお手紙からしたら、「詩を書いています」ということばが返ってきそうな気がしたからである。
「母と二人で、一日をまごまごして、くらしています」
二の句の継げないような、はきはきとした大きな声の返事に、秋山さんはしょうじきな人だなと思った。
しょうじきといえば、世間に対して、親きょうだいに、友達に、自身に対してということになるが、ここらのかね合いから、詩の発想もうまれてくるのではないかと思う。世間に対してのしょうじきというのは、自然、国家・社会に対してということでもある。
「タブーに挑戦」という一篇は、“天皇制が廃止されてから/天皇制を批判するは易し/天皇制が存するうちに/天皇制反対を叫ぶは難し/(一行あき)/天は/人の上に人をつくらず/人の下に人をつくらず/(一行あき)/天皇制反対/日和見主義反対”という詩句の書き出しになっている。秋山さんは詩を書きはじめて六年目だそうだが、その前は先生について、絵を習っておられたとのこと。
字を見ると、力のこもった、ぴんと撥ねた男字である。宇からして、好き嫌いのはっきりした人だろう。猜介なのかもしれない。としたら、人柄を誤解されやすい、友達をつくれない人ではないだろうか。そうだとしたら、一人で独自の世界を創られるのも、いいではないか。もう一篇、わたしの好きな詩を引用させてもらう。
“たった一人の清らかな心が/万人の心を潤して/たった一人の汚(けが)れた心が/万人の心を暗くする/(一行あき)/たった一人の努力心が/万人の励みとなって/たった一人の怠惰心が/万人のマンネリ化となる/(一行あき)/たった一人の心が/たった一人の心が”
これは「たった一人の心が」という題の、しょうじきな詩である。いわば、解説などは毫もいらない、詩句どおりの一篇である。秋山さんのきびしいほどのしょうじきさは、世間に対してであるか、ご自身に対してであるか――はいうまい。詩の世界から、認められようが、認められまいが、この第一詩集を出版なさった心を忘れずに、書きつづけてほしい。そして、書き残ってほしいと思っている。
(「しょうじきな詩/高木護」より)
目次
1
- 真似ごと
- つぼ
- タブーに挑戦
- 女独り
- 風と太陽
- 裏金一同より
- 笑う町
- 口の雨
- 二本道
- みなしご
- 花電車
- チリ紙交換
- 大法会
- 幻影
- お疲れさま
- しりごみ
- 王様の病気
2
- 人生は空まわり
- 「いい匂いっ!」
- コラちゃん
- たった一人の心が
- 笑うがごとく
3
- 面影氏
- 彼
- 喜劇欲求
- 思い出形見
- 偏屈老人
- 清流
- 変人コンビ
4
- 泣くも笑うも
- 鈴が鳴る
- 玄米酢人生
- ぴっくるちゃん
- 風小僧
- 平和
- 深傷
- 親譲り
- 炒り大豆
- どうなのかな
5
- 狂乱
- 針吹き
- 真面目人間
- ポーズ
- マスコミ
- 小鳥は待っている
- 人形のダンス
- 地球飴
- 鳩は死んだ
- 反逆児
- 墨絵の心で
しょうじきな詩 高木護
道は遠すぎて あとがきにかえて