階段 流れの死滅 坂本巽 熊田司

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 1968年8月、白燕発行所から刊行された坂本巽と熊田司の合同詩句集。著者は父子。刊行時の住所は神戸市長田区。

 

 巽と司を思うとき、ひらいた一輪のかたわらから、蕾の覗くかきつばたが目に浮かぶ。あけぼのの静かな水を抽いて、まこと清らかな風情である。かきつばたは比愉ではない。杜若が父子で、父子が杜若で、遠くなり近くなり、おぼろに薄れては、鮮やかに迫る。父とその子が、ふたり揃って、現実というまぼろしに生きようとする。そして、それぞれの暮らしの襞の陰に書きとめてきた独り言が、月日をめぐる水のごとくに、おのずから一つ器に収まるという、こんな麗わしい姿がまたとあろうか。
いまはもっぱら作句に心を責める父ではあるが、ふるさとの雪ふかい津軽の山野につちかわれた詩の夢は、そのままに、子の身うちにも明りを点しているのだ。戦争が終って、はじめて巽と出会ったとき、彼の年齢は、現在の息子のそれをさのみ越えてはいなかった。やがて生れた司はぱっとりと色白で、わたしの手にも抱かれたりしたものだった。それがもう、父より背丈が高く、詩をつくる。歳月の魔力―水よりも濃い血のつながり――それにつけても、わたしと異との縁、その縁によるその子との触れ合い―そうした幾重ものむすぼれは、神仏の不思議なはからいとしか思われない。
 時間と空間との畏るべき仕組みの中で、父は父、子は子なりに、息を吸い息を吐きながら、光と闇を一元に融かしこみ、八紘の糸筋を、あるときは自己存在の焦点に絞り、やがてふたたび放って、憧れの涯につなぎとめようとする。父と子が身を寄せあうのは、この刹那、この場である。子はその若さのゆえに、自他虚実の交錯の縞目を潜りつつ、瞳を凝らそうとしてよろめく。風景と心象とは絡みあい、星と凍てつく群集の孤独――緑の風にふかれては空洞の暗さをおもい、時空を超絶した極点への透徹をねがう。水晶のように硬く輝やいて、青春の彫りは甘美である。それにひきかえて、具象の表裏曲折にも、いとほそき触手をまさぐり伸ばし、実とみえて実ならず、虚とみえて虚ならぬ映像を顕わす父の俳句、――感覚のための感覚、情緒のための情緒、思惟のための思惟ではなく、言葉はすなわち血肉、生身そのものでそこに在ろうとしている。
 広がっては消え、広がっては消え、無限に同心円をえがく水輪の中心にあって、それを垂直につらぬく過去から未来への軸を意識する、――潔ぎよい父とその子ではある。
(「かきつばた/橋閒石」より)

 

 


目次

・階段

  • 石と臼
  •  老年
  •  振子
  •  麗日
  • 壺と甍
  •  気球
  •  道化
  • 笛と鐘
  •  遠景
  •  白頭

・流れの死滅

  • 第一章
  •  空への歌
  •  地上にて
  •  断片
  •  降下の季節
  •  埋もれた歌
  •  昏れる顔
  •  紙帽子の歌
  • 第二章
  •  夜の中に歩く
  •  憂鬱
  • 第三章
  •  標的
  •  流れの死・睡り
  •  情景
  •  時間への呼吸
  •  時の断層

かきつばた 橋閒石

 

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