1953年7月、長谷川書房から刊行された齋藤史(1909~2002)の第5歌集。著者は東京市四谷区生まれ。
わたくしの第五番目の歌集です。
昭和二十三年から二十七年までの五百五十二首を入れました。身邊の事から云へば、東京からの疎開ぐらし满三年半ののち、村の林檎倉庫の部屋を二十四年に出て、長野市に棲むやうになりました。
昭和の初期、前川佐美雄、石川信雄らと、仲間をつくり、藝術派、と呼ばれた歩み出しをしてからでさへ、すでに二十数年の日が過ぎました。昭和十五年に第一歌集「魚歌」を出しました時、私を元気づけて下さつたのは、おもに詩人、小説、評論の諸先輩であり、新しい短歌の方向を探るもの、と云っていただきました。
以来、歴年、朱天、やまぐにの歌集。又いまだに話題になる合集、新風十人など。随筆集も一冊。ちがふ名前で、長篇小説のやうなものも書きました。
日本といふ國も、幾度かうつり、二十代に二・二六事件を身近く視た眼に、敗戦も眺め、もう、四十の年齢も過ぎました。
今、寫生風の歌の特に盛な信州に棲んで、この歌集をまとめながら、自分の作品を再びかへりみて、苦い笑ひをして居ります。戦後、農村の生活の中に、私は、今までの自分の歌の在りやりを眺め、土に足を密着させたところから探り直してみる事を試み、それでなほ、私の歌が、寫生風一途なものとならず、やはり「魚歌」の道を選ぶのならば、これもまた、つらぬくより仕方のないわたくしの天性ででもあるのだらうと思ひ決めました。
この集の中にも、どこに旅をしたとか、誰に逢ったとか、雨が降るので道がわるいとか、いふ種類の歌は、少ししか入れて居りません。それよりも、強く、自然の中から人間の中から、抽き出するのを求めて居ります。風雅な笛はあれども吹かず――まだまだ修業をしなければならないわたくしは、先進たちによつて安穏に築かれた、風雅の短歌の上に乗つては居られないのです。
わたくしはいそぎます。
たとへ、書きのこす歌はまことに貧しく小さくても、わたくしは私の道を探りたどるより仕方のないことです。
長谷川書房主が、わざわざ長野へいらしての御すすめによつて、同氏の手に、この原稿を御まかせいたします。(「後記」より)
目次
・昭和二十三年作品 八十一首
- 寒夜
- 村棲み
- 梨老樹
- はだか火
- 白きうさぎ
・昭和二十四年作品 八十一首
- 濡れてゆく
- 冬虹
- 樹液
- 夜蟬
- 月明夜歌
- 迷彩
- ふぶき
・昭和二十五年作品 百九首
- くらい荒れた谷間
- 春の河
- 縫ひぐるみ
- 不淸淨天使
- 斷面
- 壺
- 旅行者
- 秋湖
- 暗きくれなゐ
・昭和二十六年作品 百五十一首
- 冬樹樹
- 春の雪
- 忘却の河
- 氷炎
- ひなげし
- 忘我
- まぶた
- 平衡
- 水のごとく
- 花のまがき
・昭和二十七年作品 百三十首
- かりそめ
- 殘り火
- うらみ
- 梨花
- あくた
- 殘菊一枝
後記