1979年11月、雁書館から刊行された築地正子(1920~2006)の第1歌集。刊行時の著者の住所は熊本県玉名郡。第24回現代歌人協会賞受賞作品。
昭和二十年代の終りから、五十年初め頃迄の作品を自撰し、逆年順にならべてみた。歌は何かといふ答は、私自身まだ出てゐないけれど、歌集をまとめる気持になつたのは、残年が見えて来たせいでもあらうか。
昭和十二年、東京府立第三高女を卒業して、実践女専国文科に入学してからの三年間は、高崎正秀先生から釈逗空直伝のきびしい御教へをいただき、河野多麻先生からは、終生学問する心を身を以つて御教へいただいた。
卒業後は、好きな絵の勉強をはじめ、旺玄会の佐藤文雄先生から、「詩のある絵を描くやうに」とお教へ下さつたのが、今尚、忘れがたい。
昭和十六年秋頃、創刊されて間もない「鷺」の清新な歌風に魅かれて、なんとなく投稿をはじめ、戦時中合併した「心の花」に移つたが、いつも「おのがじしに」からはみ出してしまふ私を、広い心で見守つて下さつた佐佐木治綱先生は、すでに亡い。よき師、よき先輩、よき若い人達に恵まれて、永い間勉強出来たことを深謝してゐる。
戦後、父母と共に父祖の地に帰り住むやうになつたが、東京で生れ育つた私は、何時迄も東京人気質が抜けないままに、文化的環境に恵まれないこの地で、異和感に悩みながらも、常に豊かな自然に向つて歌の心をひらいてゐた様に思ふ。私の個人的幸福を第一義に考へなかつたために、喪つたものも少くなかつたが、歌の恵みも大きかつたと言ふべきであらうか。
「花縦列島」は、気象学者だつた父が、生前選んでおいてくれたものである。いささか大きく重いけれど、父の希ひのこもつた賜物として、また、私が歌を作るやうになつたことを何よりも喜んでくれた亡き母への、報恩の心をこめて、この集の名とした。
(「歌歴にかへて」より)
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歌歴にかへて