1987年2月、集英社から刊行された池田みち子(1910~2008)による「東海道中膝栗毛」の翻案。「わたしの古典」シリーズ20。カバーは鳳凰桜柳文縫箔狂言装束部分(厳島神社所蔵)。装幀は菊地信義。
『東海道中膝栗毛』をはじめて読んだのは小学校六年生のときであった。少年少女向きに書きなおされたもので、弥次郎兵衛、北八の失敗ばかり繰り返す間抜けぶりが滑稽で面白かったのを覚えている。
江戸文学は、西鶴のものなど注釈なしで読んだ記憶があるので、『東海道中膝栗毛』も注釈なしで読むつもりでいた。ところが、読み始めてみると、江戸時代の読者なら知っていただろうことで現在ではわからないことがたくさんあった。そこでいちいち欄外の注釈を読まなければならなかった。注釈を頼りながら読むにつれて、記憶の中の弥次郎兵衛、北八とは同一人とは思えない、まったく別人の弥次郎兵衛、北八が浮かびあがった。少年少女向きに書きかえられた、お子様ランチを私は読まされていたのだった。
原文の弥次郎兵衛、北八はすさまじいばかりの好色漢であった。宿場宿場での女漁りが目的で道中をつづけたとしか思えないのだ。また、相手が自分より弱い(子供、盲人、田舎者など)といつでもいじめにかかった。さして悪意はないのだが、面白半分にいじめるところは、現代のいじめそのままである。いじめるつもりが、いつでも反対にいじめ返され、女漁りも失敗ばかり繰り返すところが、江戸の民衆には面白かったのだろうし、現代の読者にも面白いと思う。
原文の中で、今の読者にはたいくつだと思う部分や、興味がないと思う部分は、紙数の関係もあって、遠慮なしに省いた。反対に加筆しなければわからない部分がたくさんあった。たとえば原文では「御関所を打過(うちすぎ)て」とわずか七字で箱根の関所越えを片づけているが、今の読者はどうしてそんなに簡単に関所越えができたのかと疑問をもつだろう。テレビや映画でしか箱根の関所を知らない今の読者にわかるように説明しなければならなかった。また、三嶋の旅籠でごまの蝉(旅人相手の泥棒)に胴巻を盗まれて、金をなくした弥次郎兵衛が、生まれ故郷の駿州府中で多額の金を手に入れて道中をつづけるが、このことを原文は「しるべのかたへたづね行(ゆき)、ここに金子(きんす)のさいかくととのひ」と簡単に片づけている。生まれ故郷の府中を夜逃げ同様に出奔して江戸へ出た弥次郎兵衛がどうして簡単に大金を手に入れることができたのか? このことで読者が納得してくれるような話を私は考え出さなければならなかった。
いろいろな出版社から『東海道中膝栗毛』は出版されている。机の上に積み上げた『膝栗毛』の中では、中村幸彦氏の校注(小学館「日本古典文学全集」)がいちばん適切なものに思えたので、主としてそれを参考にした。また、当時の宿場、旅人の様子、往来切手、関所手形のことなどは、岸井良衛氏の『東海道五十三次』(中央公論社)を参考にした。
(「わたしと『東海道中膝栗毛』」より)
目次
わたしと『東海道中膝栗毛』
第一章 発端
- 弥次郎兵衛の生い立ち
- 東海道中のはじまり
第二章 江戸から小田原まで
- 子供同士の抜け参り
- 程ヶ谷から戸塚へ
- 道中は油断禁物
- 小田原城下の失敗
第三章 箱根から安倍川まで
- ふんどして恥をさらす
- 木部から来た女
- 文無し旅行
- 蒲原の木賃宿
- ふるさとに帰る
- 安倍川の人足
第四章 大井川から新居まで
- 弥次郎兵衛の偽待
- 日坂の旅籠の巫女
- 茶代に六十四文
- 浜松の幽霊騒ぎ
- 北八の脇差
- 狐を捕まえる
- 隣室の花嫁
第五章 岡崎から伊勢まで
- 旅先的の瞽女
- 石地蔵を抱いて寝る
- 十返舍一九の偽者現る
- 古市の遊女屋
- 伊勢参宮