黄金分割 小林貴子句集

 2019年10月、朔出版から刊行された小林貴子(1959~)の第4句集。装幀は間村俊一。著者は長野県飯田市生まれ。

 

 今年は二〇一九年、令和元年が始まっている。二〇〇八年に第三句集『紅娘』(本阿弥書店)を出してから、十一年も経ってしまった。そこで、まずは二〇〇八年から二〇一四年まで七年間の作品で第四句集を編むこととし、「黄金分割』と名づけた。黄金分割は一つの線分を二つに分ける比率で、ほぼ一対一・六。長方形の縦と横をこの比率にすると最も安定的で美を感じるといわれ、A判・B判の用紙もほぼこの比率になっている。また、自然界にも多くの黄金比が存在する。
 今までの歩みを振り返ってみると、「岳」俳句会をはじめとして、長野市松本市等のカルチャーセンターにて句会を担当させて頂く機会が増えている。ありがたいことだ。この折に、俳句を始めてからの自己の変化に触れておきたい。
 一九八一年に信州大学学生俳句会に誘われて俳句を始めることとなったが、それ以前、高校時代は文学班に所属し、いわゆる文学少女だった。自由詩を少々。何か散文を書きたいと思うが、心の中を探してみても泥炭のような自我があるばかり。それでも他に守るものはなく、社会とはうまく接触できず、泥炭を抱え、世間に背を向け、硬くうずくまっている状態だった。俳句を始めてからも、当初はこの泥炭しか詠う対象はなかった。俳句には季語を入れなければというので、歳時記を見て好きな言葉を発見しては、では「海市」で一句作ろうと、頭の中で創作していた。これは、ほどなく行き詰まる。ところが、自我を抱えて丸まった私の背中をぽんぽんと叩いて、「ちょっと振り返って、こっちの世界を見てみれば」と示してくれたのは、本物の季語の世界だった。言葉のみではなく、実物の釣舟草であり、銀やんまであり、滝であり、冬山だった。実物は豊饒で、しかも千変万化する。いつの間にか、それらを心の中に入れる術を覚えた。覚えてみると、それ以前は、何と総ての物を拒否していたのだろうと驚くばかりだ。心の中が豊かな物で満たされてゆくと、従来抱えていた泥炭はもうどこかへ雲散霧消していた。縮こまっていた背は伸び、肩の力は抜け、呼吸が楽になった。この季語との出会いは、私にとってかけがえのないものだった。
 何を当たり前のことを今さらと思われるだろうが、にぶい私はこの行程を踏んで、自覚して、理解するまでに、ほぼ現在までという長い月日を要したのだ。
 この間、「岳」俳句会主宰の宮坂静生先生は常に変らず根気よくご指導くださり、先輩や句友から学ぶことは多い。広く俳人の皆さんからは、時々「もっと厳しい人だと思っていました」という意外な指摘も含め、温かいお言葉をかけて頂く。はからずも現代俳句協会副会長になってからは、全国から講演を、選句をと、依頼を頂く。俳句総合誌や出版社の編集部の方との交流からは、常に新しい刺激を頂く。こんな私に、ありがたいことばかり。どれが欠けても、俳人としての私は成り立たない。皆々様に感謝申し上げたい。これからもよろしくお願い申し上げます。
 今回の句集制作は、朔出版にお願いした。鈴木忍さんとは「岳」三十五周年大会の翌日、軽井沢のそぞろ歩きをご一緒したのが忘れられず、このたびのご縁にいたった。装幀の間村俊一さん、造本に携わってくださった方に御礼申し上げます。
 ちなみに、口絵に用いた絵画「エルドラド」は、私が長年〝おっかけ”を続けているギタリストの下山淳さんが描かれた。それが公式ウェブサイトにて頒布され、手に入れることが出来た。原初にこの絵画「エルドラド」があり、そこから「黄金郷」、「黄金分割」が導き出されて今回の句集名に行きついたという経緯がある。我ながら、なかなかファン冥利に尽きることよと、胸が高鳴ってしまうのだった。
(「あとがき」より)

 


目次

はじめに 宮坂静生

  • 二〇〇八(平成二十)年 おつとせい
  • 二〇〇九(平成二十一)年 秋思祭
  • 二〇一〇(平成二十二)年 船酔をしさうな部屋
  • 二〇一一(平成二十三)年 朧にはあらず
  • 二〇一二(平成二十四)年 岩塩は骨色
  • 二〇一三(平成二十五)年 もつと寄つて
  • 二〇一四(平成二十六)年 若葉のものゝあはれ

あとがき


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