闇の扉 上田周二

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 1957年9月、私家版として刊行された上田周二(1926~2011)の短篇集。1988年、沖積舎から復刊されている。序文は西脇順三郎

 

 これらの小説を読んだ人達はこの作者が自殺する前に書いたのかも知れないと思うかも知れない。それ程この短篇の世界は地上の人間の憂鬱を記念する文で私なら地獄への花籠としたい位いである。むさし野の雑木林が多摩を渡ってさがみ野へはいるとガムボージ色の藪へ変化する。少年が桑畑の中で将棋をさしたり、大山街道をそれて魚釣りに出る学校の先生などのいる風景になる。大学を出るとそういうところに先生をしている男がこうした短篇を書いている。「自分で出版することなどはつまらないからどこかきいてみようか」と私はこの小説マニアに言ってみたが「いやそれはむしろ自分の喜びとするところですから、かまわない。小説を書くことは自分の生命であって、全く小説というものを作る以外に人生の価値をみとめないのです」と答えられた。食わなくとも、家をつくらなくとも小説を印刷することが人生の目的である。町へ出で小説家となって生活したりすることは彼が望むところではない。これは小説が芸術となる本来の目的である。よく売れる小説や小説の大御所は必ずしも偉大な芸術で、偉大な小説家ではない。そういうことで自分で印刷することは商品にはなれないからやむ得ずそうすると思われては彼の場合は全く気の毒である。自分で書き自分で印刷することが彼にとって小説創作の全体の仕務である。彼が小説をつくるということは小説家となって名誉と生計をたてるということでなく、一つの近代病理学的精神病として一つの「小説行為」とでもいうべきことをやっているにすぎない。
 彼は浅草に生れ大学教育を受け、いつの時か「小説」という近代病にかかっていた。川を渡つダンゴをたべたこともなく、ほうずきをしゃぶってみたこともない近代人である。これ等の短篇は相模野に起った「浅草の憂鬱」であるという点でも注目すべき人間の歴史である。
(「序文/西脇順三郎」より)

 

目次

序文 西脇順三郎

  • 迂回
  • 潜行の時
  • 闇の扉
  • 片隅
  • 光と影
  • 路傍の男
  • アカシヤ

あとがき

 

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