1954年3月、時間社から刊行された町田志津子の第1詩集。装幀は鐵指公蔵。
真摯な詩生活二十余年を越え、より深く、より高くへと現代詩の構築に専心しながら、まだ一巻の詩集を編もうとしない町田志津子さんの態度を一方ではうらやましく思うと共に、やはり一方では、その足跡がなみなみならぬものを知るだけに何更默つていられず、かたがた、去年の夏だつたかお会いしたときに、私は何となくそんなことを町田さんに話したものである。そのため町田さんも急に詩集刊行を思い立たれ、町田さんが終始一貫指導を仰いでいられる北川冬彦氏の配慮の下に、待望の一巻「幽界通信」を世におくられることになつたのは、決して私一人のよろこびではない。
如上の因縁から、私が序を(あまり好きではない)書かなければならない必然性も生じたわけなのだけれど、私の並べる世迷言などは、もとより蛇足にすぎず、要は「幽界通信」を読んで貰いさえすれば、私が町田さんに詩集刊行を勧めた意図も、なるほどと解って頂けるものと信じている。
私と町田さんとの交友は、今から約二十年前、町田さんが「麵魏」の同人だつた頃に始まつたと思うけれど、国漢の素養を身につけ、一方では進歩的な社会運動に熱をいれていた町田さんの詩は、默々たるその人間性と相俟つて、若い頃からいわゆる安易な私詩や過度の感情暴露も見られず、飽くまでも內省的であり、靜的なものであつた。
默々たる町田さん、太平洋戦争による戦争未亡人の逆境をも、ただ黙々として支え、さればこそその詩境は格段の深度と尖鋭度を加え、心にくいまでに沈潜しつつ、複雑な時代意識や抵抗を物象に語らせ、イマージュを屈折させ、展開させる町田さんのいき方は、独特の要約的手法と共に、久しい基盤の上に築かれたユニクな境地を示している。それらの事実は≪幽界通信≫以後の諸作、例えば≪ある心象≫≪春≫≪まんぼう鮫≫≪漁村風景≫≪顔≫その他にはつきり窺われると思う。海を故郷とし、常住地とする町田さんの海にふれた詩は、とくに町田さんのもので他には真似ようがない。
人語に絶した戦争未亡人の感懷に千万言を費やすの愚を省き、町田さんはただ黙々として「幽界通信」にまで永遠の結晶を(永遠の!)成しとげた。苦悩も涙もすべてを嚴しい詩精神に打ちこみ、老兩親と三人の遺児を守り、教育の仕事にたずさわりつつ、なお「時間」同人として詩作鍛錬をつづけている町田さんに、私はただ心から頭を下げる。
(「小序・深尾須磨子」より)
目次
小序・深尾須磨子
・挿話
- 野ばら
- まんぼう鮫
- 釣られた魚
- 漁村風景
- 顏
- 暗い海
- 遮断機
- すずめ蛾
- 鼠群
- 挿話
・默契
- 默契
- ある心象
- 春
- 改正道路
- 茨
- 幽界通信
- 草
- 雨夜
- 鴉
- 鵜
- 芽
・赤石
跋 北川冬彥
あとがき・町田志津子