2016年10月、思潮社から刊行された瀬崎祐(1947~)の第6詩集。
現実の仕事として肉体に長く触れてきた。生命の誕生とその終焉にも関わってきた。それは疑う余地のない価値をともなう実の世界だった。四年前の詩集では、それに拮抗する虚の世界の構築を夢想していた。
しかし、その二つの世界は互いに呼び合い、結びつこうとしているようだった。M・C・エッシャーに「昼と夜」という絵がある。白昼に向かって飛んで行く黒い鳥と夜に向かって飛んで行く白い鳥が、いつしか主体と背景を混然としてしまう絵である。意識をどちらに向けるかによって選び取られる主体の側は決まり、もう一方は背景となってその主体を成り立たせる。同じように、意識を少しずらせるだけで、実と虚は容易に役割を入れ替えるのだった。
感覚で動こうとする部分と理論で動こうとする部分がせめぎあう。その危ういバランスで感覚は物語へと続き、うねる。
感覚の言葉が流れ、物語の言葉が積み重なる。
カバーには独裁政権下のチュニジアで撮ってきた写真を素材として使ってもらった。雲ひとつない蒼空がひろがり、誰もいない海岸に強い風が音を立てて吹き荒れていた。こんな地にまで来てしまったのかという思いの風景だった。
(「あとがき」より)
目次
- 揺れる
- 蓮沼
- 砂時計
- 下向
- 水面夢
- 乾いた視界
- 陰花
- 水門のあたりで
- 訪問船
- 死者
- ミカサ屋
- 隘路
- 咆哮
- 幸せピンポン
- 砂部屋
- 砂嘴
- 燎火
- 訪問販売人の記録
- 使命
- 片耳の、芒
- 雨を忘れる
あとがき