2011年7月、思潮社から刊行された福間健二(1949~2023)の詩集。装幀は清岡秀哉。第19回萩原朔太郎賞、第49回藤村記念歴程賞受賞作品。画像は2011年10月2刷版。
ここに収めたのは、すべて詩集のかたちでは未刊のものである。
どういう詩集を作るか、何度も頓挫した末に、二〇一〇年四月に構想をかためて作品を書きたしながら編集の作業をつづけ、二〇一一年三月の初めまでにいったんまとめ、その原稿をもってポルトガルへの旅に出た。成田空港を発ったのが、大地震がおこる三時間前であった。
旅の二週間と戻ってからの時間で推敲をかさね、そのあいだに「よろこびの国」と「話しかける四月」を書き、この二つを入れるために構成を動かした。
一九九八年の夏の終わりから一年間、わたしはウェールズのカーディフにいた。そこから二〇一〇年までの仕事とするつもりで編集をはじめたのだが、いつのまにか、それ以前のものも引っぱりだしていた。この本の時間は、『旧世界』『秋の理由』『侵入し、通過してゆく」の時間と並行するところがある。
二〇〇四年までは「ゲニウス」があり、いまは「詩論へ」という場もあるのだが、この本との関連でとくに言い忘れたくないのは、連詩と朗読のためのチーム「FARM」を新井豊美さんと水島英己さんと組んで活動してきたことと、署名なしで作品を発表する雑誌「COW」を高貝弘也さんと杉本真維子さんと出してきたことだ。いささか勝手な、当初はそんなことをするとは思っていなかったことなのだが、かれらとともに書いたものから自分のところを抜いてここに入れている。
国立市公民館での「詩のワークショップ」で出会った人たちとも、おなじ課題で、一緒に書いてきた気がする。ついでに、酒を飲む場面までつきあってもらった。詩を語るタベ。その舞台となった国立のいくつかの飲み屋。そこから何度も別な自分になって夢のなかへと帰った。
数年前には、こういうものをつくれるとは思っていなかった。妻恵子と編集者の髙木真史さんとともに、これを可能にしてくれた、意外にもまだいい意味で緩いところのあるこの世のAからZまでに、手加減なしの「強い抱擁」を送りたい。
(「あとがき」より)
目次
・1A 書くことがなくても
- 青い家
- あらしの季節
- 生きている顔の町
- 川
- 静岡
- 芝居の夜まで
- その靴をはいて
- たましい
- 天使をすてる
- とりあえず、ここまで
- 夏、二〇一〇年
- 話しかける四月
・1B 何がどう壊されたっていい
- 秋
- 生きもののいる野を
- 恋する政府
- 自分の消える場所
- 十月の恋
- 十四歳の呼吸
- 照葉樹の森
- 男性
- どうする?
- どこにも行かなかった夏
- 夏の言い分
- 火には、戻れない
- 昼間から飲んで
- 窓
- みっちゃん
- 虫
- もう言いあいもできない
- 闇のなかを歩いてきた
- 夢の立教大学
・2A 絶対あやまらない
・2B 二十世紀の終わりに
- 生きてるって感じさせて!
- 歌わない島
- 彼女はきみを愛している
- ジブリル
- わたしにまかせなさい!
・3A いつもなにか余ってしまう
- アリスをつなぐ
- ごはんを待ちながら
- 終点
- 血の酒場
- ナオミの発達
- 復路の復習
- 満月の夜
- よろこびの国
- 旅行者
- 老後の愉しみ
・3B 論理ではなく寒さが
・4A これが世界だ
- P中毒
- 竜を退治する
- わたしの好きなもの
・4B 自分の意志で
・5A 勝負する場所
- 生きていると
- 岡部さんが亡くなった
- 消える前にすること
- 十月十日、すべてを破棄して
- ソウルロード
- トラッシュ
- 泥
- ばらばらになった部位のなにが
- レッスン、書けない小説のための
・5B 神様のとなりに
- 素直なセックス・ピストルズ
- 月を見る
- ティーンエイジ・ファンクラブ
- 「ティーンエイジ・ファンクラブ」へのノート
- 名前とフィクション
- はじまらなかった春
- 美術の時間
- 螢
- 夜の運動会
- 「夜の運動会」へのノート
・6A めんどうなこと
- 居眠り王子の恋人
- これからの、恋
- 写真の白秋
- 朔太郎の音楽
- 当山さんのこと
- 当山さんのことを高貝弘也に語った
- 野原に落ちてゆく
- パラダイス
- 古い学校
- 夜、あまい汗
・6B 手紙
- 三十年ぶりの返事
- 自転車はいらない
- 戦争がはじまった日
- パラダイス・アゲイン
- わたしたちの冬
あとがき