1980年2月、朝日出版社から刊行されたフランシス・ジャム(1868~1938)の詩集。翻訳は倉田清(1928~)。
フランシス・ジャムの詩は、昭和三年に堀口大学氏によって、日本に紹介されて以来、多くの人に愛され続けている。私がジャムのこまやかな感情を包んだ日常卑近な言葉、技巧のない技巧ともいえる単純な表現、そして、可視的世界をありのままに見つめ、不可視的世界を鋭く直観して、それをすなおに憧憬する態度に魅了されたのは、ボードレールやヴェルレーヌなどの象徴詩を好んで読み、その「万物照応」の宇宙や、「音楽による美学」の領域に詩の精髄を求めていた学生時代であった。その後、パリ大学に留学したのを機会に、ジャムの故郷を訪れたが、爾来、現代思想の研究や学会参加のため渡仏するたびに、オルテーズを中心にフランス・バスクを逍遙し、その自然の示す香りと色と光の中で、ジャム詩の世界の清朗さを味わっている。昨年秋には、ピレネー山脈を見はるかす丘の上のオリオン城で、ジャム研究家の城主ジャン・ラベ氏のもとで、詩人の娘ベルナデットさんと楽しい時を過すことができた。そして、オルテーズにしばらく滞在して詩人の研究を一応まとめ、南フランスの旅を終えてパリに戻ってからも、数回ベルナデットさんを訪問し、父フランシス・ジャムのさまざまな逸話を伺うことができたのも幸いであった。
本書は、一九六七年に三笠書房から刊行され、非常な好評を博した拙訳『ジャム詩集』を改訳したものである。現在まで全国的に多くの読者から、また詩を愛する未知の友だちから新版の刊行をというご希望をいただき、その機会を探していたところ、幸い朝日出版社の原雅久社長が快く引き受けてくださった。
ここに、このようなご好意を示してくださった原社長と、製作上の一切の面倒をみ、訳語についても懇切な忠告をくださった編集部の和久利栄一氏、また、貴重な写真や資料をくださったベルナデット・ジャムさんと、オルテーズのミシェル・オーリー氏に心からお礼を申しあげたい。
(「訳者あとがき」より)
目次
・『暁のお告げ(アンジェラス)の鐘から夕べのお告げ(アンジェラス)の鐘まで』
- 序詩
- 僕は驢馬が好きだ
- 僕が死んだら
- 家は薔薇の花と
- これら人間の労働
- 僕は愛するあの時の
- 白い雲が
- もしも君が
- 古い村は
- 日曜日には
- あそこに悲しく灰色の
- 緑の流れのほとりで
- 私は牧場(まきば)にいる
- 若い娘は
- 平和は森の中に
- 牧場(まきば)には
- 憐憫で胸が張り裂ける
- 君は裸になるだろう
- 水が流れる
- 雲が一筋(ひとすじ)
- 樹脂が流れる
- ああ、この香り
- 君は退屈して
- 君はやって来るだろう
- 僕は君が貧しいのを知っている
- 僕は空を眺めていた
- 秋の季節が来た
- 近いうちに雪が降るだろう・
- 貧しい靴屋が一人いる
・『桜草の喪』
- 「エレジー」
- エレジー 一
- エレジー 七
- エレジー 九
- エレジー 十四
- 「さまざまな詩」
- 彼らは私に言った
- 「祈り」
- 他人が幸福であるための祈り
- 星を一つ願うための祈り
- 子供が死なないための祈り
- 苦しみを愛するための祈り
- 私の死ぬ日が美しく清らかであるための祈り
- 驢馬といっしょに天国へ行くための祈り
- 単純な妻を持つための祈り
・『空の晴れ間』
- 「悲しみ」
- 夜の静寂(しじま)の中で
- ある詩人が言った
- 去年咲いたリラが
- 雨の雫(しずく)が
- 私を慰めてくれるな
- 「木の葉を纏った教会」
- 礼拝堂(チャペル)のまわりには野の平和が
- 彼は道路工夫に言った
- アメリカ胡桃の実が一つ
- 礼拝堂がまた鐘を鳴らした
- 詩人とその友だちが
- 秋が来ると、人は見る
- 詩人は魂の森の中でたったひとり
- 「ロザリオの祈り」
- 苦悩
- 鞭打(むちうち)
- 茨(いばら)の冠(かんむり)
- 十字架を担(にな)う
- 磔刑(はりつけ)
・『キリスト教農耕詩』
- 父と娘の対話
・『聖母とソネット』
- 私は思い出す
- 幸福とは何だろう
- 丘と谷間が
・『四行詩』
・『泉』
- カザノーヴの泉
- フランシス・ジャムの主な詩作品(一九九)
解説
あとがき