1967年11月、日東館から刊行されたアンソロジー詩集。編集は中村隆、君本昌久、伊勢田史郎、安水稔和。
われわれが「ことば」によって「こころ」をつなぎとめようとしてからすでに久しい。それは気も遠くなるほどの時をさかのぼった過去から、たえずわれわれを突き動かしてきた衝動である。
だが、だからといって、衝動であるからといって、ただ手を垂れて耳を伏せていた者をしも、駆り立ててきたわけではない。
たとえば、喜びの日に喜びの歌うたいつつも、喜びに酔う人々から離れて血の黒さを見定める眼を持つとは、どういうことなのか。歌うたうものは、しよせん、斜めにもの見る眼を持つという光栄を有するものの謂か。「こころ」を「ことば」でつなぐとは、たえない鈍痛にたえず気づくということなのか。
このたび、われわれ四人は、時間と空間とを限ったうえで「ことば」の森にわけいった。いわゆる「現代詩」と呼ばれる詩の生成の時間を一〇〇年と限り、またその空間を、たまたまわれわれ四人の生活している兵庫・神戸に絞ってみた。
この限られた「森」のなかでわれわれが次々と見たものは、かならずしも「詩神の豊かなる恵み」ばかりではなかった。
たしかに、いささか驚きもしたのだが、この狭い限られた地域にかかわりのある少数の限られた(といってもその数は一○○人を越えたが)詩人たちの作品を読み進みつつ、われわれは、この一〇〇年のあいだの日本の「現代詩」の実りとも称すべきものの大要を辿ることができるとさえ感じた。その実りの豊かさに心ふくれるといっていいとさえ感じた。
だが、同時に、われわれは、その実りのにがさについて語りあわずにはいられぬとも感じていた。
個々の詩人の個々の事情について、その様々の場面について、費すべき紙数はないが、時代と社会、生活と思想、どの観点からみても、常に挟撃されているという状況のなかで、詩人たちがどのように「こころ」を「ことば」でつないだか、どのように「こころ」を「ことば」でつなげなかったかを、読者は頁をくりつつ、ドラマのように、鮮やかに見ることであろう。
どのように多くの人々に読まれようとも、どのように多くの人々のために存在しようとも、詩は、やはり、一人にとっての毒、一人のための毒、しかも必要な毒であることをやめはしないという確信とともに、われわれはこのアンソロジーを編み終った。
(「序にかえて」より)
一九六〇年(昭和35年)、安保闘争のあった年の暮れ、それまで個々の同人雑誌で詩を書いていた中村隆、君本昌久、伊勢田史郎、安水稔和の四人は、結ばれて詩雑誌『蜘蛛』を編集創刊、ベトナム戦争でアメリカによる北爆がエスカレートする一九六五年(昭和40年)六月までの五年余、八冊九百ページを刊行し、ひろく兵庫県内外の詩人の仕事の舞台として、半ば公器的役割を果してきた。
それから一年有半「蜘蛛』は休刊したままになっていたが、ここに明治一〇〇年、戦後二十二年、日本の詩が始まっての一○○年ということをも踏まえ、兵庫・神戸における『一〇〇年の詩集』を刊行、郷土詩人の足跡を記録し、休刊している「蜘蛛』にかわる仕事とするため、昭和四十一年の末から、本詩集の編集にとり組んだ。
しかし、初めて一○○年の詩を探り、読み、選ぶまでには、非常な時間を費した。そうして一○○人余りの詩人を侯補にあげ、数度の討議にかけ、ここに六十五人の詩人を選び、その詩を採出した。明治期十一人、大正期十人、昭和前期十一人、昭和後期三十三人。選出の責任はすべて蜘蛛編集グループの四人が負っている。が、残念なことには、柳田国男氏の作品を選びながら、故人の遺志により割愛しなければならなかったことをことわっておきたい。
個々の仕事について、担当を明らかにすれば「序文」は安水稔和、「兵庫・神戸一〇〇年の詩史ノート」、「年表」は君本昌久、「作品及び詩人の略歴」は中村、君本、伊勢田、安水が当った。
なお、昭和戦前までは漢字・仮名使いをなるべく原典に添い、昭和戦後は仮名使いのみ新仮名に揃えた。作品は時代の流れを読めるように選び、配列もその順序に従った。(「後記」より)
目次
一〇〇年の詩集 ―序にかえて―
・明治―一八七四年(明治7)―一九一一年(明治44)―
- 組合神戸教会讃美歌 前田泰一等編
- 花薔薇 カール・フォン・ゲロック 井上通泰訳
- 撫子 座古愛子
- 尼少女 前田林外
- わがゆく海 薄田泣菫
- 無言妖女 岩野泡鳴
- 嗚呼玉杯に 矢野勘治
- 播磨より 有本芳水
- なさけ 内海信之
- 去りゆく五月の詩 三木露風
- 曇日 川路柳虹
・大正―一九一三年(大正2)―一九二五年(大正14)―
- 祈禱 竹友藻風
- 西灘より 佐藤清
- 言葉を失へる市街 富田碎花
- 狂 賀川豊彦
- 私は若かつた 深尾須磨子
- 心よ 八木重吉
- 夢と白骨との接吻 遠地輝武
- 星におそわれた話 稲垣足穂
- 影のごとき處女 福原清
- 若き父の憂鬱 山村順
・昭和戦前―一九二六年(昭和元)―一九四五年(昭和20)―
- 時雨 坂本遼
- 世の中 能登秀夫
- 朝 喜志邦三
- 淡路島夜曲 中山鏡夫
- ラグビイ 竹中郁
- アイスクリーム 衣巻省三
- 和田岬 光本兼一
- 乱菊 岬絃三
- 診察の耳 濱名與志春
- 父が庭にゐる歌 津村信夫
- 夜学生 杉山平一
・昭和戦後―一九四六年(昭和21)―一九六七年(昭和42)―
- 歴史の蜘蛛 野間宏
- 春愁 富士正晴
- 否の自動的記述 小林武雄
- 悪日の終り 廣田善緒
- 乾いた空気の下で 亜騎保
- ジプシー 足立巻一
- 戦争 中桐雅夫
- 愛の歌 芦塚孝四
- 黒横行 内田豊清
- 流離 向井孝
- 少ない雨量 桑島玄二
- 微動する秤 中村隆
- 人間の背後 伊勢田史郎
- 悪い記憶 西本昭太郎
- からす料理 なかけんじ
- 情熱 高島菊子
- 詩法 小川正己
- やってくる者 安水稔和
- 花の咲く世界 福井久子
- 寒い唄 柳生千枝子
- くれないか 君本昌久
- 夜のうた 岡田兆功
- つながれて 藤村壮
- 日本 丸本明子
- 発端 多田智満子
- なまけものへのブルウス 土井伸彦
- 絵巻 喜谷繁暉
- 暖い冬 各務豊和
- プロローグ 直原弘道
- 菜種の村 山南律子
- 誕生 鈴木漠
- 冬の海 赤松徳治
- デ・プロファンディス 松浦直己
兵庫・神戸一〇〇年の詩史ノート
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