野 上林暁

 1940年10月、河出書房から刊行された上林暁(1902~1980)の短編小説集。

 

 歐羅巴においては、獨逸の飛行機がロンドンに向つて連日猛爆撃を加へ、國内においては新體制の聲巷に滿つる時、たまたまこの近作集「野」を世に送ることとなった。變轉期に漂ぶ一作家の手記として讀みすてていただきたいものであるが、同時に、一作家が真剣に生きた姿が少しでも出てゐればと、それを念願するものである。
 この小説集には、十許りの作品が集められることになったが、その主調をなすものは、「野」「多主義者」「花の精」「身體髮膚」の近作四篇である。この四篇のみならず、この作品集の大部分が、前作品集「ちちははの記」につづく、身邊に取材した所謂心境小説の域を脱しないのは恥しい次第であるが、私自身、もうそろそろこの境地から助け出さねばならぬ時期だとも考へてゐる。そして、それが、現在の私にとつて重荷となつてゐるが、しかし、なかなかさら簡單にけ出られるものではない。
 「野」といふ作品は、この數年間における自分の生活と思索とを盛つたもので、私としては、自分の生涯における重要な作品の一つに敷へたいと思つてゐる。文壇的には、岡田三郎氏の好意ある批評と、岩上順一氏の立ち入った批評とを受けたほかには、格別問題にもならなかったが、私の個人的な知人からは割合多くの反響を受けることが出来た。なかには高等學校を卒業して以来十六七年も會つたことのない友人からも、読後感をもらつた。それによつて考へてみるに、この作品のモチーフはあまりに個人的なのかも知れない。
 「野」を書く時、筋などちつともなく、心理と風景の精細な描寫だけに頼つたので、これは少少退屈な作品になりやしないかと何度も反省した。しかし退屈になつても構はないと思つて押し通すことにした。蓋し、筋や物語性などを追ふひとから見れば退屈かも知れないが、心理や描寫を楽しんでくれるひとには退屈でないかも知れないと思つたからである。つまり、走り讀みするひとから見れば退屈かも知れないが、字とイメージを拾つて読んでくれるひとには、一概に退屈とも言へないのではないかと思つたのである。
 そのうへ、少し大言壮語すれば、二十世紀の大小説と言はれるものは、大てい退屈ではないか、退屈なのが二十世紀の小説の特徴ではないかといふ肚もあったのである。マンの「魔の山」、プルウストの「失ひし時を求めて」、ジョイスの「ユリシイズ」など、あまりよくは知らないが、普通の意味において、みんな退屈な作品ばかりである。走り讀みなど出来る作品ではない。しかし噛んで読めば、滾々として盡きぬ慈味があるのである。だから私も、これらの大作品にあやかつて、少々退屈でも構はぬと、自惚れとも誤魔化しともつかぬ氣持をもつてゐたのである。
 「多主義者」と「花の精」と「身體髪膚」とは、私が今年になってから書いた三つの作品である。すべて「野」の系統の作品であるが、ただ「野」には少しのケレンも誇張もなく、堅實一張りの作品であるのに反し、この三つの作品には少し誇張があるのではないかと恐れてゐる。
 「野」にしろ、その他、いづれも哀れを賣るやうな作品になつてゐるのは恐縮だが、少くとも現在のところ、私自身の實生活は、これらの作品にあらはされてゐる「私」の生活ほど哀れではないと思つてゐる。作品に書かうとすると、實際以上に哀れになるのはどうしたことか。私の頭のはたらきが、悲観症に傾いてゐるためだらうか。或ひは、若しかしたら私の實生活は、私が考へてゐる以上に、事實哀れなのであらうか、とも思ふ。その認識の如何によつて、或者は、私の作品を目して哀れをると考へ、或者は、實際感動してくれるのではないかと思ふ。しかし考へてゐると、實生活と作品と、どちらがより以上哀れであるか自分でも判らなくなる。
 「換気筒の影」や「寒鮒」「散歩者」など短いものにも、この数年に書いたものには、哀れがつきまとつて離れない。
 「天草土産」と「在りし日」は、昭和八年の作品である。現在の自分が苦澁なるにつけ、過去を慕ふのは、最近の私の作品のモチーフとなつてゐる。これらの古い作品を最近の作品の間に挟んだのも、この作品集の編輯上にも、そのモチーフを生かさんと欲してのことである。
(「あとがき」より)

 

目次

  • 散步者
  • 換氣筒の影
  • 天草土產
  • 冬主義者
  • 幼友達
  • 寒鮒
  • 身體髪膚
  • 花の精
  • 在りし日

あとがき


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