1970年9月、理論社から刊行された足立巻一(1913~1985)による九鬼次郎(1914~1940)の評伝。神戸新聞に1969年4月から6月まで連載したものの改稿。カットは津高和一、題字は望月美佐。
九鬼次郎は、わたしの少年のころの友、松田末雄が詩作を発表したときの筆名である。わたしがかれを知ったのは昭和六年、十七歳のときであるが、そのときすでに九鬼次郎を称しており、わたしたちのなかまはかれを呼ぶのには、きまって「九鬼」であった。そして、かれが昭和十五年、二十六歳で死んで長い時が過ぎたいまでも、かれを知る数すくないなかまはやはり「九鬼次郎」と呼ぶ。
だが、かれがどういうところから自分に九鬼次郎と命名したかは、だれも知らない。かれの分身のような友、地良田稠(じらたしげし)さえもわからないという。
九鬼次郎は脊椎カリエスを病み、曲がった背に石のようなコブを負っていた。かれはその悪病に悩み、肉体の醜悪を呪い、自殺ばかりを考えていた時期がある。そして、十八歳の暮れについに自殺の旅に出た。それは未遂に終わったけれど、そのときからは南海に投身するつもりで、それも死体が太平洋に流れ去ってしまうことを願って黒潮の流れを微細に調べていた。後年、かれ自身そう述懐を歌っている。とすると、潮流を調べているうちに、中世に南紀の海を支配していた海賊九鬼氏を知って筆名としたのではあるまいか? この推理はあたっているか、どうか? ――九鬼次郎よ、病んだ海賊少年よ。
(「まえがき」より)
目次
- まえがき
- 小説 鏡
- 友よ!
- 『神戸交通の回顧録』
- カス連隊
- 死に魅らるべし
- 夜の潮流
- 時計
〈附録〉
松田末雄(九鬼次郎)歌抄
松田末雄(九鬼次郎)略年譜
『鏡』おぼえがき