詩の構造についての覚え書 ぼくの<詩作品入門> 新装版 入沢康夫

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 1970年9月、思潮社から刊行された入沢康夫(1931~)の現代詩入門評論集。シリーズ装幀は米村隆。

 

 以上の覚え書は、雑誌「現代詩手帖」に発表したもので、第一回から第十回までは、昭和四十一年一月号から十月号にかけて、また、補遺の二回分は、四十二年の八、九月号に、それぞれ掲載されました。はじめから十二回分のはっきりした計画がたっていたわけではなく、むしろ、その都度問題を設定しては、いくらかの整理を試みたというだけの、文字通りの覚え書でした。ですから、これを一つにまとめるためには、もう一度はじめからすべてを見直し考え直し、多くの訂正や削除をほどこし、全体の体裁をととのえ、一つのすじみちをつける必要があると考えていたのです。ところが、この度、こうして一冊にまとめた結果は、結局、はじめの考えとは逆に、雑誌に発表したときの形をなるべく保存するということになってしまいました。これが元々「覚え書」として書かれたものである以上、なまの形をそのまま止めておいた方が、かえって何がしかの意味を持ち得るのではないかというふうに、考えが変って来たのです。詩の作者が作品について抱く理論などというものは、どのように形をととのえてみても、当の作者の新しい一作毎に裏切られ、あるいは踏み越えられて行くはずのものでありましょう。いま、この覚え書を読み返してみますと、論旨の不明確なところや、前後着している点や、引例の不適当なものや、奇妙な気負った語調など、いたるところに不満は尽きないのですが、右のような意味から、あえて、一切手を加えず、一、二の字句の訂正のほかは雑誌に発表したときのままで、書肆の手にゆだねることにいたします。
(「あとがき」より)

目次

第1回

  • はじめに
  • Ⅰ手もちの材料と道具の点検
  • A詩は表現ではない
  • B作品の構成の素材は単語だけではない

第2回

  • C詩が、主として語のイマージュに依存するという考えは不適当であり、同様に、比喩(直喩・暗喩)に主な拠り所を持つという説にも、無限定には同意できない
  • D個々の要素の持つ意味の重層性や潜在的情動力は、適切な構造の中にところを得て、はじめて発揮される(
  • E擬物語詩は、あり得べき詩作品の構造の一つのタイプである

第3回

  • Ⅱなぜ詩の構造を云々するのか

第4回

  • Ⅲ基本的な諸問題についての雑然たるメモと、そのまとめ
  • A作品とその要素(素材)
  • B素材としての言葉のありよう
  • C言葉を素材とするということ

第5回

  • D詩人――発話者――主人公
  • Eどんな作品においても《詩人》と《発話者》は別である

第6回

  • F《作者》と《発話者》の区別をことさらに強調することの意義
  • G詩作品における《作者》と《発話者》の関係の在りようの点検
  • H諸要素の構成の「方法」をめぐっての断想

第7回

  • I配列とは? 順序とは?

第8回

  • J《発話者》に一貫性をもたせることの得失

第9回

  • K《発話者》の曖昧さ
  • L一つの遊び

第10回

  • Mこの章のまとめ、そしてこの連載のまとめ

補遺1 偽の時間・偽の鏡
補遺2 時間の虐殺・時間の復活

 

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