狼の嘘 江川英親詩集

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 1981年12月、Alméeの会から刊行された江川英親(1931~)の第4詩集。題字は柿添元、編集構成は黒田達也。第18回福岡県詩人賞受賞作品。著者は福岡県飯塚市生まれ。刊行時の住所は福岡市東区

 

 凡そ怒りには、義憤というほどの血筋のよさが面容にあって、かえって全幅の信頼をためらわせる。所詮は鎮静化し妥協に堕ちる性状を否めない。怒りがいかに論理的・倫理的な武装をしていたとしても、あっけなく冷めて霧散する不甲斐なさを予見する。怒りそのものは無節操と言っていい。幾多の裏切りを繰り返してきた過去帳がある。かつて、<原爆許すまじ>と絶唱した私たちの怒りの雲海は、思えば被爆者の怨みとは明白に同質ではなかった。被爆の凄惨を種に戦争の残虐の正体を民族的な遺産として認識する合意は、たしかに大海原の如くに波打った季節があった。しかし、その合意そのものの正体は、単に論理的・倫理的な仮説にすぎなかったと言えるし、マスメディアが恣意的に仕組んだ玩具の怪獣でしかなかったと断じることもできる。自分自身の塹壕を見捨ててしまって、ヒロシマナガサキ塹壕に、あるいはミナマタの塹壕にはいりに行く衝動的な兵法と美学が、私たちを無思想の愚民におとしいれてきた由縁ではなかっただろうか。恐らく諸々の観念的な怒りのすべてを、個々の血の通った怨みにまで下降、転質させることは不可能でない。ただ塹塹と塹壕を腸のように丹念に繋ぐことはできるはずである。大小とりどりの塹塹が長蛇の海溝となり、怨みの水に満ちて通い合うことはできるはずである。その毎溝に、私たち復讐のエネルギーが黝くたゆとうのを私は幻想する。怒りのどちらかと言えば陽性のパッショネイトな熱気よりも、怨みの陰湿なひんやりした肌ざわりに、オオソドックスな復讐の体質を認めたい。
 斉の太史が、そのために処刑されるとわかっていて「崔杼、荘公を弑す」と記録し、事実、崔杼に処刑されると、その太史の弟が又処刑されることを覚悟の上で同一の記録を重ねて、やはり処刑されると、又も次の弟が「崔杼、荘公を弑す」と記録することを止めなかった。この太史兄弟の凄じい継承の執念には、太史という歴史家としての矜持を表にして、肉親の血の怨みの情念が根底に疼いていなかったとは言い切れまい。むしろ、その矜持を牢固に支えた工ネルギーの根源が血の怨念であったと言う俗説こそ、正鵠をえているのかもしれない。ちなみに、大臣の崔杼が荘公を弑した犯意は、妻を荘公に寝とられた怨みからであったという。にべなるかな。
 私にも、私の怨みがある。崔杼にあやかってアイツがオレの女を寝とったという閨事もあるし、アイツがオレの金を抜いたとか、アイツがオレのパンを搾取したとか、アイツがオレの墳墓の地を水浸しにしてしまったとか、そのほか私に係る臨床的痛苦の一つ一つが、私の怨みとして私たちの内奥に育っている。私は私の怨みの暗い海に私の復讐の船を浮かべようとしている。陰険な、より陰険な復讐が、私の怨みの海のテーゼとしてある。品のいい優しい復讐なぞ糞喰らえだ。だから、陰険な鷲たらんがために、陰謀のプログラマーとして私は私の想像力を偏執的に尊寵することとなる。貧しい翅の想像力ながら、そいつは一人前に霊感らしいものを私に与える。因果な言葉を拉致してきてペンを握る衝動を私に誤認させる。おかげで私は詩人の真似をしなければならない。ここで私は、詩を一挺の銃になし得るなどと思いあがりはしない。よし仮りに古い刀だとしても、それに傷つくのは私自身でしかない。詩に鋭利性があるとすればそのことで言うしかない。しかも、その自虐性が自分の傷口を舐めることででもある自家撞着を私は察知していて、不思議な詩の効用に自から痺れようとしている。
 私の詩は、残念ながら味方を持たない。私の詩、私のくには、私一人の人口しか持たない。私は私一人のくにに復讐しようとしながら、その私のくにと親密な連邦を結びたいと念願している。私のくには微細な一点であるけれども、沢山の私の点を幻想し、点の連邦を妄想する。被爆者の痛みは厳密には孤立している。ミナマタの患者の痛みは厳密には孤立している。私の痛みも又厳密には孤立している。やむをえないことである。私はいかなる運動家でもありえないし、オルガナイザーでもありえない。まして人の塹壕にとびこんでゆく義勇兵になれそうもない。それぞれの孤立を無修正のままに、それぞれの孤立を全く尊重したままに、連邦を結べばいいと思う。沢山の敵を持ち、敵と同数の傷を負い、傷と同数の怨みを持つ真の可能性は、孤立の布陣の逆説的な連帯から生まれてくると思いたい。
 私を大きく激励してくれるものの一つに、親鸞の『教行信証』の中の一節がある。

主上臣下、法にそむき義に違し、いかりをなし、うらみをむすぶ。……罪科をかんがえず、みだりがはしく流罪につみす。あるいは僧儀をあらため、姓命をたまふて、遠流に処す。予はそのひとつなり。しかればすでに僧にあらず俗にあらず、このゆえに禿の字をもて姓とす」

 あからさまな皇帝批判と抵抗をあらわしたこの驚異の文章には日本の人々の何人も到達し得なかった思想家としての親鸞の冷徹な慧眼が、ひややかな情念として光り輝いている。怨みが、私は間違っても低俗な情念とは思わない。ある意味では思想の隠れたる旗手であると言っていい。
 復讐の一方の極限に自殺がある。死んで敵を呪う――これは余りにも哀れな日本的手法であるが、現代の機構的な敵に対してどれほどの可能性を残しているかは措くとして、死の当時者には潤沢に酔うエッセンスがある。怨み骨髄に徹して死んで呪いをかけるという古典的な情念に、私は古典的な詩情として柩に入れてしまえないものを感じる。自己をいためにいためて傷を舐める一種の錯乱の愉悦感――これを〈怨みの美〉と私は名付けよう。その〈怨みの美〉の創造が、今の私の唯一の復讐の手だてだと言うとしたら、私はたんに哀れな弱兵でしかないのだろうか。
(「あとがき」より)

 

 

 

目次

狼の嘘
亀の嘘
仙の嘘
浦の嘘
石の嘘
嘴の嘘
臍の嘘
花の嘘
姦の嘘
姥の嘘
桃の嘘 
松の嘘 
竜の嘘
村の嘘
蟻の嘘 
鳩の嘘
里の嘘
壕の嘘
鳶の嘘
怨の嘘

あとがき

 

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