2010年1月、砂子屋書房から刊行された海埜今日子の第4詩集。装画はクノップフ「見捨てられた町」。装本は倉本修。著者は東京生まれ。
日常と幻想、この二つの狭間をいつも気にかけてきた。それは日々と芸術ということかもしれない。私は後者を、芸術をずっと切望してきた。それだけあればいいと思っていた。だが、それは背中だ。腹という現実がなければ背中はありえない。背中がなければ腹もありえないように。背骨とはたとえばそういう意味だ。背骨は腹と背の狭間にある骨だ。
わたしにとって芸術は他者でもあるかもしれない。わたしは他者をずっと求めてきた。彼とはどうしたってひとつにはなれない、違うから。わたしが腹だとしたら、彼らは背中だ。あるいは彼らは毎年咲く花であるかもしれない。わたしは季節を教えてくれる花たちに共鳴する、背骨がきしむ。それだけが花を、他者を感じる術だろう。或いは違うからこそ求めるのだ。日々があるからこそ旅を求めるように。では〝キコウ”は? 背骨というマストをもった船の寄航、寄港、または背骨の紀行かもしれないし、奇行であるかもしれない、気候を感じたいのかもしれない。わたしはことば遊びをしているのではない。腹と背中という歴然とした区別はある。だがそれらをまたいで、共鳴する背骨のキュウに、わたしは様々なたとえを託している。それは平仮名によせる想いでもある。平仮名は、読みにくいかもしれない。だが、そこにそれぞれが想いをあてはめてくれればと思う。
また"セボネキコウ"には、こんな共鳴も含まれている。「キキの体が、陽炎の向うに揺れて広がる一つの町のように見えて、ふと戸惑うことがある。なだらかな丘陵地帯に、横に長く伸びるその町は、春の風景にしては静かすぎてどこか空々しく、淡すぎて変によそよそしく、それなのに懐かしすぎて声を上げたくなる。(中略)あの春の町は、クノップフが百年ほど前に描いたブリュージュの町だ。フランドルの詩人ローデンバックが〈死都〉と呼んだ、ブリュージュの風景だ」(久世光彦『聖なる春』)。詩とは、旅と日々の間でゆれごく背骨であるのかもしれない。
(「あとがき」より)
目次
- すずはね通り
- 嫁入る狐 蜃気楼
- あおようび
- 二重壁
- 門街
- 造花売り
- 砂街
- 紙宿
- 蛋白石
- 雁信
- せきゆすい
- 金魚町
- とんぼ玉、買い
- 鬼灯街
- 蝶市
- ひにいるむし
- 卵売りの恋 コノハナサクヤ
- 鳥窓
- 虹を鳥に蔓を
- 瓶の森
- くびかざり坂
- 影街
- みずのね、
- ねぼねきこう
- まつよいまちぐさ
- 風媒歌
- 恋ふみ
- 南十字へ。
あとがき