2015年6月、思潮社から刊行された神田さよ(1948~)の第5詩集。付録栞は倉橋健一「阪神大震災から東北へ――神田さよさんの経験」。著者は東京生まれ、1972年から関西在住。刊行時の住所は西宮市。
東北の町に、被災後四年目の三月十一日に訪れた。二時四十六分、海に向かい合掌していると、急にマイクを突きつけられた。四年目という区切りに、テレビ局の記者たちが来ていた。
「どなたが亡くなられたのですか」
質問に戸惑う。「どなた」に手を合わせていたのだろう。その時初めて自身に問い直した。わたしは、見えない死者に手を合わせていたことを自覚したのだった。死者、死者、いくら呼んでも名前ではない。顔も見えない。生き残ることのなかった人びと。
震災から何度も被災地に行った。なぜ行くのかわからない。答えはただ、呼ばれているような、呼んでいるような、そんな気持ちだけで、海辺へ海辺へと重ねて訪れた。一月十七日を経験したわたしは、吸い寄せられるように出かけて行った。
突きつけられたメディアのマイクは、わたしを拒絶しているように思われた。当事者でない者には何もわからないと言われているようだった。あの凄まじい体験を共にしていないわたしは、この地の人びとの心を理解し得ないのではないか。日常でも、他者のことを正確に理解することはできないが、被災された人びとわたしとの間には、切り立つ壁が歴然と立っていることを、繰り返し思う。他者とわたしは重なることはないだろう。
あまり意識していたわけではないが、これまでの事実を書き込むような自分の作品に、疑問を抱いていた。事実と思って書いてきたことは、実は虚構であったかもしれない。たどたどしく、不信と虚妄のなかで書き続ける。しかし、人と人の繋がりや分かち合いを、求めて信じていることには間違いはない。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ 沈黙の村
- 笑う箱
- 手紙
- 沈黙の村
- アイスボックス
- 切手
- ばちす村
- やっこら とっちり
- 寒風に
- 球根
Ⅱ 傾いた家
- 教科書をもらったけれど
- 秘書
- 巻尺
- 三月のエピソード
- 暗証番号はだれにも教えてはいけません
- リンク氏
- おみつと新右衛門
Ⅲ ピンヒール履いて
- マキ先生
- ピンヒール履いて
- なってしまった
- ミドリは
- 測定
- 公衆電話
- 螺旋階段
- 蔵
- ご注文の品
- 喫茶店で
- 針刺し