黒い河 冨島健夫

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 1956年10月、河出書房から刊行された冨島健夫の長篇小説。装幀は大野隆也。

 

「黒い河」 丹羽文雄

 これは風変りな恋愛小説である。恋愛をとりまく奇妙な環境が面白い。作者の若々しい好奇心にもえた目と、レアリストとしての目が、うまく調和している。いくたの風変りな人間像を描き出している。イッヒ・ロマンの形式だが、むしろ自由闊達に描いているのが、よい。
 主人公が間借している家が小説の世界になっている。同居人たちはいずれも人生の敗北者であり、貧しいよけいものであり、ふきだまりにふきよせられた塵埃のような人達である。小説はやくざの情婦と主人公の学生との恋愛を軸にして、貧しい人々の生態が、ナイーブな学生の心に投影して、その心のプリズムから写し出される色彩が、一種の心理的ロマネスクとして展開されている。環境が極めて行動的であるので、よみやすい。暗い苛酷な現実の中から、時には明るいユーモアがひき出される。メタンガスの泡がういているような暗い汚れた世界だが、作者はヒューマニティをさぐり出そうとしている。それが気持よい。
 この作者は若いが、若いに似合わず腕はしっかりしている。達者すぎるほどである。刺戟的な材料にかかわらず、作為を感じさせないのは、大したものである。この小説のよさは、醜悪な現実に絶望をせず、人間をつきはなしてしまわず、人間の清純な半面へあこがれている。いかにも若人らしい健康な息吹をもっていることである。
 この作者の手は、同人雑誌や「文学者」や「新潮」ですでに試験ずみである。私は、信頼の出来る若い作者として、この人に前々から嘱目していた。

 

 この小説は、昭和三十一年の二月中旬に筆を起し四月三十一日に脱稿した。学生時代に書いた短篇のいくつかが恰好の覚え書として役にたった。

 私の書く世界に、はじめて若い女性が登場した。作中の谷口静子である。静子を他の人々と同色に描くことも、私は出来た筈である。けれども、「ぼく」はおいしい空気を欲していた。私は静子を「ぼく」のその願望が彩るにまかせた。作者の私にもまた、ひらかれた窓が必要だったのである。だから、静子が登場するたびに、私は私の年齢の若さに危険を感じつづけねばならなかった。若さに甘えてはならないと考える。
 この小説を書いたことによって、私は私の創作上の偏荷を私なりにたしかめ得た。この小説もまた一里塚であると思えば、それはこれからのために大きな収穫であった。けれども、それ故に一層私はこの作に愛着が深い。
 丹羽先生を三鷹に訪れはじめてから四年、今、作品への推奨の言葉を頂けて非常なよろこびを感じる。また、この社の編集部に勤めている私の作の上梓に最初から理解深かった社長をはじめ、尽力してくださった竹田博氏その他の方々に心より感謝の意を表したい。
昭和三十一年秋 富島健
(「あとがき」より)

 


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