下村千秋 生涯と作品 平輪光三

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 1975年9月、崙書房から刊行された平輪光三による下村千秋の評伝。

 この小著は、昭和の初期、かって流行作家であった下村千秋の人と作品を、主に千秋の執筆した小説、評論、随筆などと、数少ない千秋文献によって書いたものである。千秋は六三年の生涯を、文学一途に生きた、私の郷土、茨城県出身の作家としては唯一の職業作家であるが、死後二〇年既に中央地方の文壇に忘れられている。私は縁あって千秋と千秋の文学を知り、千秋の人と文学が再認識されて、大正昭和文学史上にその存在価値を主張さるべき作家のひとりであることを、同時代の作家と比して痛感した。それが、この小著をまとめる私の動機であった。
 随って、この小著では、既に埋没されてしまった千秋の代表的な作品の内容を、出来るだけ多く解説して、千秋の文学と人間の追求に重点を置きその文学の理解と再評価の礎石とすることに努めた。そして、千秋文学本来の傑作である初期の作品を特に紹介した。
 これらの資料は、ほとんど下村家に保存された千秋の著書、執筆発表の紙誌切抜と、若干、私の苦心蒐集した文献に據った。勿論、極めて雑駁なものであり、意に充たない所が非常に多いが、これは私の非才と、文献と、見聞の蒐集不足によるもので、誠に恥しいものであるが、現在の段階では止むを得なかった。
 この小著が機縁で、今後、下村千秋に関心を持って、その人と作品を追求する後学の有志が出現することを、、私は希求するばかりである。その捨石になれば、幸甚、これに過ぎないと思っている。
 この原稿は今から三年前に執筆したもので、ひで未亡人と千秋令弟下村弘毅氏に校閲を煩わし、その意見を訊き、出来るだけ正確を期したが、評伝としての執筆態度は矜持したつもりである。
 小著の出版については極めて難渋した。当時日本文芸家協会の書記局長だった堺誠一郎氏が努力して下さったが、引受ける出版社がなく、今日に至っていた。ところが、偶然崙書房代表小野倉氏がこの原稿を見て、郷土の資料に深い理解と信念を持つ氏は犠牲的に出版を引き受けてくれ、やっと日の目を見ることが出来たのである。
 この小著の執筆については、以上の各氏の外、千秋の友人浅原六朗、板倉勝忠、鍵山博史氏らと、著者の友人石川義雄、森田美比、鈴木三雄、湯原栄一の諸氏が何かと援助を惜しまれなかった。記して敬意と感謝を表したい。
(「あとがき」より)

 

目次

  • 一、序章
  • 下村千秋研究の動機―千秋の人と作品―千秋文学に対する現在の評価―真の千秋文学への再認識
  • 二、生い立ち
  • 生地―出生ー母の死―酒乱の父ー少年時代の生活―土浦中学校時代―同級生高田保―初恋―中学校卒業
  • 三、早稲田大学時代
  • 早稲田大学入学の動機―当時の文学部教授―学生生活―廻覧誌『屋上』とグループ誌『塵労』―郷土紙『いはらき』連載の「盲者唖者」―放浪の旅、四国九州・北海道・四国遍路―大学卒業
  • 四、同人誌『十三人』時代
  • 当時の文壇系譜―早稲田派の作家達と同人誌―『十三人』の創刊―同人誌時代の生活と初期の作品―同人たちの動静―正法院蟄居―読売新聞記者時代の思い出―父と家郷―牧野信一の「爪」―千秋の短歌・俳句・詩
  • 五、師・志賀直哉
  • 滝田欅陰と志賀直哉の手紙―「ねぐら」の内容―志賀直哉の指導と『夜の光』―私小説「四日間」―利根河畔取手の生活―戯曲「夜明けを待つ」と文壇への進出―『十三人』の廃刊と『白』の創刊―当時の文壇
  • 六、結婚前後
  • 山崎ひでとの出合―結婚―大震火災前後の生活と創作活動―結婚前の恋愛と「刑罰」―『中央公論』に「黒い影」を掲載―「私語」「河畔初夏乃図」などの発表―ひで夫人脊髄カリエスを病む―「彷徨」の恋愛―父の死―「早天実景」―翻訳・童話
  • 七、流行作家時代
  • 当時の社会情勢と文壇―暴露文学「ある私娼との経験」―最初の新聞連載小説「しかも彼等は行く」―「天国の記録」「街の浮浪者」―流行作家時代の生活―川端康成のルンペン文学論―「街のルンペン」の映画・演劇・流行歌化―「暴風帯」とその後の新聞小説―少年少女小説―「少女の魂」のドイツ誌翻訳掲載―余技の絵画と製陶
  • 八、牧野信一と千秋をめぐる人々
  • 牧野信一の自殺―岡田三郎の愛慾―千秋の恋愛観|千秋をめぐる人々―塚原健二郎―佐藤観次郎
  • 九、中央公論社長嶋中雄作
  • 中央公論社と滝田愕陰・嶋中雄作—嶋中雄作社長就任―最初の出版『西部戦線異状なし』と千秋の蔭の協カ―二人の特種な関係―『婦人公論』―読者訪問講演旅行―千秋著書の出版―戦事下の中央公論社解散
  • 一〇、疎開前後
  • 子を得るまでと子を得てから―体制への協力―東北地方農民と農村の実態調査―郷土を題材とした「故郷」と「湖畔の歌」―通俗小説の執筆―農民文芸懇話会―木内高音と『赤い鳥』―童話集の出版とその童話―戦事下の執筆活動―都下小金井町への疎開|半農生活―農村の文化問題!再三の転住―「死を思ふ友へ」と文壇復起
  • 一一、戦後の作品
  • 戦後の社会風潮と文学界―浮浪児・麻薬禍・教育問題への関心―「こがらしの夕」と「屋上の浮浪児」―中央公論社長嶋中雄作の死―問題作「中学生」と佳作「五平といね子」「吹雪はやむ」―ルポルタージュ「二挺拳銃・鳴門の龍」
  • 一二、晩年と死
  • 最後の移住と発病―未完の大作画家ゴヤの伝奇小説―入院―最後の作品「花咲く迷路」―病院生活―死後

下村千秋年譜

あとがき


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