1959年4月、日本週報社から刊行された伊波南哲(1902~1976)の自伝小説。装画・装幀は中込漢。
琉球の問題が大きく取り上げられている。琉球はまごうかたもなく日本の一角であり、私たち日本人がけっして忘れてはならない同胞の島である。日本の南端にあったために、太平洋戦争の末期には悲惨な運命に遭遇した。
アメリカ軍の基地となっている現在の状況は、われわれ日本人の胸を疼かせるものがあるが、そのうちでも琉球を故国としている沖縄の人々たちが、自己の血液の問題として日夜遠い琉球の島々を忘れることができないのは当然のことであろう。伊波南哲君はその琉球人である。
かつて警視庁の巡査をしていた時代、「交番日記」を書いた伊波君は、その後詩人としての素質をあらわして、次々に優れた詩を発表し、その長篇叙事詩「オヤケ・アカハチ」は映画になった。
沖縄県は九州の一県であったから、伊波君は私たちの「九州文学」同人となり、戦争中は九州にいて、同人諸君と仲よくした。しかし、終戦と同時に故国に帰ったのである。伊波君の郷里は琉球列島のまた南の端の八重山である。そこで、伊波君は文化運動を展開して、島では枢要の位置にあずかったようだ。しかし、再び機会を得て上京した。そして、今この「天皇兵物語」を脱稿したのである。
それはしかし現在の琉球の運命を語るものではない。それは伊波君にとってもやがては書かれることであろうが、その前に人間と歴史の跡をもう一度ふりかえる真摯な態度で、現役兵の頃の思い出を書いたのである。前進するために背景をあやふやにしないことが大切なのはいうまでもあるまい。体験はど尊いものはない。
伊波君は若かりしころ宮城を守る近衛兵として、軍服を着た経験を卒直大胆に描破している。幾分小説風に物語の展開をさせながら、ありのままの真実を打ちだして行くところに興味の尽きないものがある。
兵隊としての経験は私にもあるが、菊のカーテンに包まれていた宮城を守る軍隊の様相は、私もはじめて知るところだ。誰もこの世界をまだ書いていない。その意味では珍しいものといえる。多分読者もこれまでの軍隊を描いたものとは全くちがった興趣を持って読むにちがいないと思う。
元来、伊波君は詩人だから、物語の進行中にふっと微笑を感じさせる美しいものがある。戦後流行した軍隊暴露物ともちがっているし、私はこの「天皇兵物語」を貴重な記録として一読をすすめるものである。
(「序/火野葦平」より)
目次
序 火野葦平
第一章 泣虫初年兵
- 入営の晩
- 酒保
- 猫かぶり
- 得意の技能会
- 靴磨きと洗濯
- 盗難励行
- 故郷からの手紙
- 学科
- 銃剣術
- ある晩の出来ごと
- 夜間演習
- 皇居御守衛
- 夜間の怪物
- 桜花一輪
- 花より団子
- 将校当番
- 讃美歌
- 出張演習
- 関東大震災
- 近衛師団出動
- 駐屯所での恋愛
- 近衛兵全滅
第二章 柿の実の熟する頃
- 儀仗兵
- 御前遊技
- 予備兵係
- 天睛れ近衛兵
- 階級こぼれ話
- 眼と用語
- 初年兵係
- 病院の窓
- 恋の小鳥
- 恋愛の行方
- 桜草の咲く丘で
- 兵営の異変
- 志願兵係
- 機動演習
- 軍旗祭
- 柿の実の熟する頃
- 除隊の日
あとがき
付録
残飯整理
皇居拝観